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Saturday, February 20, 2010

[環境CSR]英国、世界最大の洋上風力タービン用屋内試験施設を建設

【出展引用リンク】:   http://www.ecool.jp/foreign/2010/02/eti66-518.html

【引用以下の通り】
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[環境CSR]英国、世界最大の洋上風力タービン用屋内試験施設を建設


2010年02月19日
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e_0219_010_s.jpg英エネルギー技術研究所(ETI)は16日、洋上風力タービンの評価のための世界最大規模の屋内試験施設を建設すると発表した。2011年末の完成を目指している。



洋上で稼動させる前に陸上や屋内でタービンのエンジン室全体を検査できるよう設計されるもので、大規模な生産や導入における技術的・事業的リスクの軽減につなげる狙いがある。

設計仕様は、英国の研究機関、新・再生可能エネルギーセンター(Narec)とETIが2年にわたって取り組んだ技術開発や産業支援によって作られたもので、施設の完成により、低コストでの試作品の開発や新タービンの早期導入を加速させることが期待されている。[松岡由希子]



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英国、世界最大の洋上風力タービン用屋内試験施設を建設の関連ニュース
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2010-02-20 22:18:13

小沢復権・再始動か? 経団連解体と検察解体へ (文藝評論家・山崎行太郎の政治ブログ「毒蛇山荘日記

テーマ:ブログ
【出展引用リンク】: http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/756.html

【引用以下の通り】

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小沢復権・再始動か? 経団連解体と検察解体へ (文藝評論家・山崎行太郎の政治ブログ「毒蛇山荘日記」)

http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/756.html
投稿者 純一 日時 2010 年 2 月 19 日 12:17:28: MazZZFZM0AbbM

http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20100219/1266537673

昨日の「日刊ゲンダイ」に、小沢一郎主導による「経団連解体」のニュースが掲載されていたが、やはり来るものが来たというところだろうか。小泉・竹中政権時代の経団連の政治的活動を考えるならば、たとえば前経団連会長の奥田碩(トヨタ)や現経団連会長の御手洗毅(キャノン)の露骨な「小泉・竹中構造改革」路線への迎合と連携を考えるならば、当然、予想されたことである。

時を同じくして、経団連の中核企業を狙い撃ちするかのような、米国を中心にした「トヨタ・バッシング」がますます加熱し、トヨタの屋台骨を揺さぶり、ひいては日本経済を大きく揺さぶりかねないところへ来ているが、これは明らかに米国からの日本政府への何らかの警告だと見ていいだろうが、多くの日本国民や民主党政権にとっては、これは、あくまでもトヨタの問題であって、日本のGDPがどれだけ下がろうと、痛くも痒くもない問題であろう。

極端に言えば、トヨタやキャノンなど、日本を代表する大企業というよりは、日本国民の血を吸って肥え太り、さらに自分の会社だけ生き延びようとしているハイエナ企業であって、日本国民の多くは「国民の敵」だと思っているはずなのだ。少なくとも、僕は、そう考えている。

原口総務相は、東京地検特捜部の解体を視野に入れて、検察の「裏金」問題を追及しようとしているらしいが、これまた、「経団連解体」のニュースとともに、誠に歓迎すべきニュースだ。

むろん、経団連解体にしろ、東京地検特捜部解体にしろ、決して日本解体にはならない。むしろ、国民生活を犠牲にして生き延びようとするトヨタやキャノンのような悪徳企業を市場から追放すること、あるいは銀行や証券を狙い撃ちして金融改革(金融解体、金融ビツグバン)を誘導し、日本経済の土台をズタズタにした、いわゆる平成不況の元凶とも言うべき東京地検特捜部を解体することによってのみ日本は復活する。

●小沢一郎 今度は「経団連」解体

財界は真っ青

トップ100社集めた「第2経団連」をつくる


潔白が証明され、フル回転で参院選の候補者擁立を再開している民主党の小沢一郎幹事長。水面下では「経団連」潰しにも動きだしているという。

「小沢幹事長は、自民党と癒着して日本の経済システムを歪めてきた経団連を絶対に許さないつもりです。経団連は、日本に2大政党制が誕生しつつあるのに、自民党に29億円の献金をする一方で、民主党には8300万円しか献金しないなど、露骨な態度を取ってきた。徹底的にやっつける腹です。経団連潰しのウルトラCが『第2経団連』の設立構想です。すでに閣僚のひとりが、ある財界人に構想を伝えたといわれています」(民主党事情通)

第2経団連のミソは、会員企業を100社程度に絞り込むことだ。現在、経団連には1600社の大企業が名を連ねている。それに対し、第2経団連は、各業種のトップ3だけを集めた「エクセレント集団」にするという。もし、トップ100社を集めた経済団体が新たに誕生したら、いまある経団連は完全に抜け殻、ほとんど二軍扱いだ。

「第2経団連構想が表面化したら、間違いなく入会希望が殺到する。入会できなかったら、二流企業のレッテルを張られますからね。小沢一郎は既得権益を徹底的にぶっ壊すつもりです。入会の判断基準は、参院選で民主党を支援するかどうかになるでしょう。企業は民主党支援を打ち出さざるを得ない。小沢一郎がどこまで本気かどうか分からないが、経団連にとって『第2経団連』構想をにおわされるだけでも相当なプレッシャーになります」(財界事情通)

経団連の御手洗冨士夫会長は、自民党に肩入れし、小沢幹事長に対して「説明義務を果たし、政治への不信感を晴らす必要がある」と対立してきたが、いまごろ、真っ青になっているのではないか。

(日刊ゲンダイ 2010/02/18 掲載)

 ●原口総務相「行政評価」指示

総務省が、検察庁の裏金についてもメスを入れることになった。

原口総務相は17日、行政評価機能強化の検討会で「検察の裏金も全部オープンにする。聖域なく、しっかりやる」と強調。検察の会計経理の状況を調査するよう16日の政務三役会議で副大臣や政務官に指示したことを明らかにした。

また会合後、記者団に対して「新政権になり、今までのアカを全部流さなきゃいけない。検察に裏金があるかどうかも含めて全省庁を対象に調査をちゃんとやりましょうということ。与党からも野党からも政府に求めが来ている」と述べた。

小沢捜査を続けてきた検察当局に対する牽制球ともみられる。

検察庁には情報収集などを名目に調査活動費が充てられているが、それらを隠れミノにした裏金づくりの実態が明らかになっている。収賄罪などで実刑が確定した三井環・元大阪高検公安部長が公判などで検察幹部による調査活動費の不正流用疑惑を証言した。

さらに全国各地の警察では捜査報償費の裏金づくり疑惑が相次いで明らかになってきた。原口大臣は口先だけでなく、しっかり行動に移さないとダメだ。

(日刊ゲンダイ 2010/02/18 掲載)


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コメント

01. 2010年2月19日 12:20:42
トヨタ、キャノンも終わりだね。
派遣社員使い捨てにしやがって、こんどはお前たちが
使い捨てだ!


02. 2010年2月19日 12:31:28
経済同友会の提言を見ると民主党の政策に近いですね。企業献金は禁止に、その代わり個人献金でとか、農家の戸別補償に関しても似たような政策を提言。日本経団連は温暖化対策目標に関しても傘下のシンクタンク経由で民主党を攻撃していますし、対決は続くのでしょう。


03. 2010年2月19日 12:47:04
やっと動き始めたね。油断は出来ないが我々は静かに熱く応援しよう!


04. 2010年2月19日 14:30:05
経済同友会には、労働者も企業の構成員と考える良識派が少なからずいる。入会基準も厳しい。ただ、代表の桜井だけは疑問だが、問題発言は立場上仕方ないのか?
奥田(ゴロツキ)や御手洗(便所)等の、経済界成り上がりは加入できない。会則は、気品がある。まあ、第二経団連となれば、同友会の路線だろう。だから労働者を、消耗品扱いするような企業は参加させないだろう。かつての経団連幹部は、人間味があった。労働争議で解雇された手前、直接乗り込んで抗議してきた。応接室に招かれ、お茶を交えて話をした。その際、言われた言葉を思い出す。「君たちとは、考え方が対極にあるが、君たちのその主張には一理ある。」争議は、間もなく解決の道を辿った事は言うまでもない。良い解決に向かったのだ。この経団連トップは、有名だが名を伏せたい。参考に東芝・石川島の経営にと、ヒントしておこう。元労組幹部


05. 2010年2月19日 14:41:30
日刊ヒュンダイなんかを引き合いに出してる時点で終わってる。
潔白が証明されたとか無い。
検察審査会の判断で起訴に踏み切るか次第で小沢一郎は終了。


06. 2010年2月19日 15:07:21
05は現代をヒュンダイと読んだ時点で終わっている。朝鮮人でなければ、読めない。小沢憎しの朝鮮系といえば、ネトウヨ3兄弟に決まっている。コメントするな。


07. 2010年2月19日 15:29:04
何十兆円も留保金持っていて、派遣切りする企業など反社会的です。トヨタも自民党に献金してれば利益が上がると思っているところがアホでした。
世界の車産業は技術の転換期で資金はそちらにつぎ込むべき。自民党ともたれあいの関係があだ。それは経団連お歴々全般に言える。


08. 2010年2月19日 15:43:22
エコポイントやエコ減税、補助金、ふざけた無駄遣いさせて、
トヨタと松下、キャノンに金貢ぎやがって。
経団連なんか潰れろ!!!


09. 2010年2月19日 16:20:17
>4
土光敏夫さん
かな


10. 2010年2月19日 18:38:27
経団連と自民党、官僚の癒着が酷すぎたので
適度な調整だと言える。


11. 2010年2月19日 19:14:31
なんだ、日刊ゲンダイか。
これって、エロ記事をエロおやじに読ませるだけの新聞。
おまけに、ニュースソースが「民主党事情通」だって。
大笑いですね。
私も「民主党事情通」なんですが、そんな話は聞いたことがありません。




12. 2010年2月19日 19:27:32
>>11
ソースよろしく


13. 2010年2月19日 19:31:58
>私も「民主党事情通」なんですが、そんな話は聞いたことがありません。

疎まれてることを告白してどうすんの?(苦笑)


14. 2010年2月19日 19:33:34
竹中は現代の奴隷商人、パソナなんとかの役員だとか。。。
小泉は経団連のなんちゃらの相談役とか。。。
製造業への派遣を解禁した御褒美?
痴犬じゃ捜査は無理ですねぇ~。


15. 2010年2月19日 19:37:45
>>11

情報弱者キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
エロ記事の夕刊紙といえば夕刊フジだろw

おまえ日刊ゲンダイがエロいってか?

岸田劉生の麗子像みただけで勃起するようなヘンタイか、おまえはw


16. 2010年2月19日 21:36:26
この11の馬鹿って、やっぱり夕刊フジ辺りと
勘違いしてるんだろな。
こういう知ったかぶりが阿修羅くると
ボロクソにされるって、いい例だな。
コメントしないで、黙ってな。ぼくちゃん。


17. 2010年2月19日 22:04:17
11は2ちゃんのニュー速+でクダ巻いてるいつもながらの速民じゃないの
おまえらはゲンダイを眼の仇にしてるからすぐ底が割れちゃうんだよw
あっちでいつものようにまたヒュンダイかとかチョンがとか喚いとけ。
偽装工作しても尻尾は隠せないんだよアホ。


18. 2010年2月19日 22:49:13
2ちゃんから飛んでくるネトウヨって、使う単語も書き方も
みんな同じだな。何も考えず、条件反射的にソースを叩くってやり方に
慣れすぎてるんだろう。
アホを見ているようだ。


19. 2010年2月19日 23:00:58
阿修羅は凄い 勉強になります またおもしろい
いままでヤフーのコメント欄見てましたが偏りすぎで
ちっとも面白くない(野暮ったい) 阿修羅の方がエリートの方が書いている
頑張ってください 応援しています


20. 2010年2月19日 23:17:36
トヨタの今回のリコール問題も、以前の三菱自動車がマスコミから魔女狩りの如くバッシングされたのに比べると、えらい違いを感じるのもトヨタの政治力の強さ。あの時も、関係者に聞くと三菱自に限らず、他社も同様な問題があるにもかかわらずおとがめなし。理不尽なものであると思ったものだ。アメリカの「トヨタ叩き」と一応に日本のマスコミは書いているが、実際に、アメリカの業界専門誌などの追跡では、トヨタはかなり以前から問題を隠し通してきた経緯が見え隠れする。今回のリコール、問題が、単にアメリカの「トヨタ叩き」と言い捨てるのをアメリカ国民が聞いたら、さぞかしあきれかえるであろう。
日本のマスコミの伝えかたは、まるでトヨタが被害者のようにも聞こえるが、アメリカ、特にビジネスマン間での日本車への評価は高く、大変冷静にトヨタリコールを見ている。トヨタが、特有な日本的根回しで、お金をふりまき画策に走るよりは、顧客への誠意ある敏速な対応は、更なる日本車への信頼にもつながるはずである。つまり、初心に戻るということだろうか。 今後のトヨタが変わっていく、ターニング・ポイントにして欲しい。
いずれにせよ、鳩山、小沢民主党が民主政治確立のため、着実に仕事を進めて頂きたい。 


21. 2010年2月19日 23:33:38
一昨年のリーマンショック後、フォード、GM、クライスラーのアメリカ自動車業界が苦況に陥ったとき、「アメリカはトヨタを叩く」と予言していたのが、Nevadaさんなんだよね。今、ここに至って見ると、甘く考えているとTOYOTAも、大変なことになるかも知れない。だいたい、あの豊田社長の声変わりしていないような声。いやな予感だけど、天皇陛下の声を思い出した。


22. 2010年2月20日 00:49:26
お5様はマゾですか?


23. 2010年2月20日 01:28:44
第2経団連って素晴らしいね、この発想は小沢さんだからこそだね。


24. 2010年2月20日 01:42:56
05は初めて阿修羅を見てカルチャーショックを受けてると思う。阿修羅のようなサイトは他にもあるから見てみるといい。いかに自分が偏った情報を刷り込まれてきたのがわかるから。そうやってネトウヨを卒業した若者を何人も見てきた。


25. 2010年2月20日 03:46:39
というか、なんで05のようなタイプの方は、日刊紙の方は「ヒュンダイ」とか読むのに週刊誌の方はそう読まないのかな?
そもそもゲンダイの方がもともとカタカナだし、どう外国語に読み替えても「ヒュンダイ」には見えないけどな?


26. 2010年2月20日 04:00:51
25自己レス:
あ、もしかして、すごい教養がある方で、「ゲ」という字の字源に当たる漢字には、もともと「ヒュ」という別な読み方があるのか!(未確認)

すると、ゲゲゲの鬼太郎は「ヒュヒュヒュの鬼太郎(より不気味そうだよね!)」とか、ヒュートボール(ヒートアップしそう)とか、ヒュロ、ヒュップ、ヒュリ、とかヒュス野郎、とかそういう読み方もあるんだ!
今度ソフトな表ヒュんする際に、使ってみるね!


27. 2010年2月20日 06:42:29
本格的に電気自動車の時代になると、今の自動車企業ってあまり優位性が無いんだったね。ハイブリット車は一応従来のエンジンとトランスミッションを載せてるから良いけど、電気自動車になるとモーターとバッテリーだけになるから、自動車メーカーが培って来た技術の意味が無いらしい。モーターとバッテリーということは、サンヨーと日立あたりが延びるのかな?
一時、労働者を派遣に切り替えて空前の利益を出して登りに登ったトヨタも凋落の序章かな。

追伸
ハイブリットなら、ホンダのCR-Zの方がかっこいいいね。


28. 2010年2月20日 07:49:41
>27 電気自動車はオモチャの世界では圧倒的シェアw 実に構造は簡単になるでしょうから、TOYATAは潰れるか、ボディの供給下請けにでもなるかでしょう。
ただ、今の10倍ぐらい蓄電能力のある革命的な電池の発明が前提になりますので、当面(10年くらい)はハイブリッド主流ということになるのではないですか。


29. 2010年2月20日 08:52:49
経団連は、自民党の集金と政策圧力団体なので、民主党政権が続けば、存在理由が無くなるので、自然死します。
大企業が、政策を歪めて利権団体化するのは元々その発想が良くない。
力の強いものが独り占めすると言う考え方は、社会の進歩の要請に反している。
社会は、進歩するほど、権力を分散させ、個人の自由を拡大し、小さな集団が効率よく運用していくべきだ。中央で画一的に決めたことは、個人の自由と権利の拡大に反することなる。地方分権は、自然の流れだし、中小企業が力を持つことも自然の流れだ。大企業集団を作るより中小企業を組織して情報交換や産学協働の開発の検討や融資問題、人材交流、企業間の連携など課題は沢山あるし、日本経済の発展に役立つ。
大企業の横暴によって中小企業を搾取する時代は終わった。私は、大企業を解体しても良いのではないかと思っている位だ。大部分の企業は、売り上げ最大2000億円程度で良いのではないか。大企業の横暴は目に余る。共産党の支持者ではありません。


30. 2010年2月20日 09:13:24
共産党ももらってたのよ。経団連から。
自民党の経由でさ。
今の、ミンス叩きからみて分かるジャン。


31. 2010年2月20日 10:15:56
>>27,28
電気自動車にしても、肝心の動力源である「電気」の供給方法が化石燃料主体であったり、危険な原発だったりしては、従来の内燃機関動力車両を性能・市場占有率において凌駕するのはまだまだ困難。

なぜ電気自動車が内燃機関自動車に比べて普及が遅れたか、その理由を在来自動車企業による市場独占圧力だけに帰すのは暴論としか言いようがない(電気自動車において、特に「航続距離」や「重量あたりの出力」を確保するのが困難だったという技術的事情がある)。


32. 2010年2月20日 10:21:03
>>31
いつの時代の話だよw


33. 2010年2月20日 10:22:48
30>
それ、ばらさないで。


34. 2010年2月20日 10:34:54
小沢幹事長(ランド・トラビス)
「この瞬間は、ザ・クラッシャーだあああぁ!」
「ぬおおお!(経団連と検察を)大解体!!」
(スーパーロボット大戦Z
ガンレオンの最強技「ザ・ヒート・クラッシャー」時の台詞より)

ついでに参議院選で自民党とマスゴミも大解体して下さい。


35. 2010年2月20日 11:54:22
肝心なのは
国債800兆円を無くすことです。


36. 2010年2月20日 12:24:59
鳩山や管が同じ事を言っても、馬鹿げた話しで終わるが
小沢が言うと、真実み、迫力があるな。本当にそうするかもしれないという予感。

小沢には決断力実行力と、敵を叩きつぶすという力があるからな。

実行力のない鳩山や管には無理



37. 2010年2月20日 12:47:37
トヨタもキャノンもリーマンショック直後に大量の派遣切りや期間工切りをした。日本の企業が簡単に派遣切りをしやすくしたのも彼らの「功績」。彼らにとって労働者はただのモノにすぎないようだ。膨大な内部留保を持ちながらこのサマは利益追求だけが企業経営の理念だと言っているようなもの。因果応報だよ。
トヨタに対するアメリカでの報道はバッシングだと思うのは間違い。日本のマスゴミが遠慮して正確な記事を書かないだけだよ。検察と一緒になって小沢氏をバッシングしたことを忘れアメリカのバッシングだとのたまっている日本のマスゴミはやはりゴミだ。週刊朝日と日刊ゲンダイは冷静に見ているが。こんな日本の記者クラブ報道を見ながら一歩遅れた判断をする豊田社長にも同情するが。

10年後にトヨタやキャノンが生き残っているか興味があるね。ここで心を入れ替え、利益第一、コスト削減第一を捨て、顧客目線の経営と働く者たちを大切にする経営に徹すれば生き残れる道はあるだろう。

このままではかつて栄華を極めたGMも倒産したように歴史は繰り返される。


38. 2010年2月20日 13:50:29
新聞社、テレビ局もトヨタ、キャノン等経団連企業の
CM料で高給を食んでいるから、自民党に肩入れした

報道しか出来ないと思う。


39. 2010年2月20日 13:55:56
検察の「特捜部」と経団連とは、歴史的役割を終えている。両方とも、昭和において存在感が発揮できた組織であって、平成においてはかつての成功体験・ブランド力の幻想の元で、勃起障害者が無駄に腰を振っているような活動しかできなかったのではないか。
歴史的役割を終えた企業は赤字の累積によって消滅するが、特捜部や経団連には赤字の機能もなければ、自然死もないから、民主党政権は、両者に、「既に死んでいる」ことを伝えなければならないだろう。


40. 2010年2月20日 14:42:20
マスコミの大攻勢の中
現実に何をやりうるかってことが重要。
マスコミは記者クラブと放送利権と広告料
でズブズブだから世論も振り回される
可能性大。


41. 恵也 2010年2月20日 14:48:48: cdRlA.6W79UEw
>>07 トヨタも自民党に献金してれば利益が上がると思っているところがアホでした。
アホではあったが、それなりの利益は出してたよ。
下請けの連中が払った消費税を、輸出した分は戻してもらえる仕組みなんて作って
くれたなら、100億円くらい自民党に献金したって屁みたいなものだ。

しかしトヨタ社員の傲慢さが露呈し、ユーザーを無視しブレーキを感覚の差だなんて
暴言を会社が宣言するとは、会社の雰囲気がわかるよ。
内緒で製造ラインの新車を直したり、カローラのハンドルのブレが表ざたになったりして、
ボロがぼろぼろ出てきてしまった。

会社としての品格が奥田が幹部になってから、昔とはまったく違ってしまったんだろう。
そういえば親族ボンボンを社長にしたり、若者を使い捨てしたり使命感のない無茶苦
茶な守銭奴野郎。エコポイントなんて、政治権力を使った我欲の暴走だ。

”驕るものは久しからず”トヨタ凋落への始まりというべき。

ーーーー引用開始ーーーー
2004年度の輸出戻し税額のベスト10は、次のようになってる。

1.トヨタ自動車 1964億円

2.ソニー 1048億円

3.日産自動車 856億円

4.本田技研工業 824億円

5.キャノン 718億円

6.日本電気 565億円

7.マツダ 534億円

8.松下電器産業 498億円

9.東芝 471億円

10.日立製作所 249億円


42. 恵也 2010年2月20日 14:51:11: cdRlA.6W79UEw
>>11 おまけに、ニュースソースが「民主党事情通」だって。
検察リーク情報を「関係者によると」という表現よりは、何百倍も当てになる。
ほかにも住民票を実際より早めに移動しただけで、それを理由に現職の検察幹部
を別件逮捕してしまうような、今の検察首脳よりは数千倍当てになるぞ。

いくら検察裏金を内部告発しようとしたからといっても、こんな理由で詐欺罪容疑
で逮捕なんてやり過ぎだよね。
最終的には三井環氏は有罪になったのだから、裁判所の判事までグルってことかな。

裁判所の判事さんより日刊ゲンダイの方が、ものによっては信頼性があるというわけだ。
日刊ゲンダイがエロいのは確かだけど、夕刊フジよりも政治記事の信頼性は確かだぜ。

ーーーー引用開始ーーーー
融資申込時の住所は以前居住していた場所にあるので銀行帳簿の全てを書き直
す必要があるのだ。これが大型新築マンションであれば300件くらいの書き直しをする
必要がある。そのため、先に住民票を移動するのが銀行実情となっている。
また、かような事案を立件されたことは過去1度もない。

詐欺罪というのは、登録免許税の減額措置を受けるための証明書1通の財物を
区役所から騙取したというものである。
http://www.asyura2.com/10/senkyo76/msg/367.html


43. 2010年2月20日 16:23:39
奥田氏が、社会保険庁(現・日本年金機構か)の顧問に
なったとき、社保庁をバッシングするマスコミには、
トヨタの広告を出さないと発言したことを、
私はゼッタイに忘れません。
今まできっと、この態度でやりたい放題だったと
思うとゾッ。


44. 2010年2月20日 17:18:12
<崩壊するかトヨタ帝国>
トヨタも含めトヨタ系関連会社(デンソー、トヨタ織機など)による中小企業の下請け苛めは昔から酷いものだった。その犠牲になっていたのが外国人労働者であることはあまり知られていない。

具体的に言うと、これらトヨタ関連の大企業の役員はトヨタからの厳しいコストダウン要請に応えるため3次以下の関連下請け企業が、日本の法律を知らないブラジル人などの外国人労働者を最低賃金以下(違法)で働かしている実態を知りながら見ぬふりをしていた。

トヨタ自動車の競争力は、カンバン方式という生産管理手法によるところが大きいが、低賃金で外国人労働者を酷使していたことも大きいだろう。低賃金で働かされる外国人労働者は子供達の教育も満足に出来ず、外国人労働者が多数住んでいる保見団地はスラム化し(子弟による強盗殺人などが発生)社会問題化している。

さすがに関連各社の総務部門は社会的責任を果たすためにも違法行為をやめるとか、ブラジル人子弟の教育支援などを会社の役員会などで提案したようだが、目先の利益を挙げることに必死な役員達は(トップは外向けに立派なことを言っているが)この提案を無視している。

またマスコミに多額の広告費を出して、会社の不始末を報道させないようにしてきたトヨタも、社内のモラルが年々酷くなっている。トヨタの専売特許だった品質管理能力も低下しており、ここのところ海外でクレームやリコールを頻発させている。倒産したGMと同じようにトヨタも「奢れるもの久しからず」なのだろうか。


45. 2010年2月20日 17:18:49
GDP世界1,2,3位がどうたらこうたら言ってるけれど世界20位でもヨーロッパでは年金暮らしの普通の老人が自家用ヨットを当たり前のように所有している。トヨタが世界5位でも構わないんじゃないの?アメリカ本土に工場を作ら無くっても真の日本製を日本で売っているベンツ/BMWのように割高に売れば良いだけじゃないかな?
ワールドカップやオリンピックを日本に誘致する事より、日本が開催希望の途上国の後押しをして第二の中国経済のような国を作って、そこから仕事を取ればよいと思う。例えばインドにオリンピック誘致するなら「我が日本は1票をインドに投票する」とか、ワールドカップを中東や東南アジアに日本が応援するとか・


46. 2010年2月20日 17:24:50
非常に喜ばしい動きがゲンダイから発信されました。
ここで忘れてはいけないのが、売国奴小泉・女衒のなれの果ての追求の手を緩めて
はいけないことです。ハイエナも避けて通る、ハイエナまたぎの売国奴小泉を許すな。


47. 2010年2月20日 18:05:34
経団連解体と検察解体であるなら…
次は、次は本丸・悪徳ペンタゴン(官僚)ですな!
主権者の納税で贅沢三昧していやがる。
納税者・主権者をコケにしやがって!
国民・国益を無視するどころか、テメーの出世と利権確保のためだけに、あらゆる悪事の限りをつくす。

第二財務省を創って、今の納税システムをゼロベースで見直して、そこに納税する。
しかし、その最低条件として特別会計(埋蔵金)と天下りを可視化して、ガラス張り会計にすること。

これくらいのことをしないとあいつらは目が覚めない。

小沢よ、鳩山よ、亀井よ
やったれー!


48. 2010年2月20日 18:40:06
それにしても哀しいのは夕刊紙の方がまともなニューズを送信して
本来の朝刊紙がろくでもないリーク記事しか出さないとは…
それにしても、小沢氏は構造改革ではなく。
構造、システムそのものを創り直そうという行動は万感です。
このまま推し進めてほしいものです。


49. 2010年2月20日 19:00:43
NHKは何者?・・どうして放送受信料を取る資格あるの?放送法を廃止して、公営放送と民間放送でいいのでは!!
経団連は何者?・・単なるグリーダーの集合体、ジェリーマンダーの手段として。
阿修羅は何者?・・真実を知る手段・・白はと・黒泥沼ばと・を見分ける手段
Who’ll be chief mourner? 誰が喪主をやる
”I”said the white dove。  私がと白ハト
誰が便所水で手を洗う?
”I”said おてあらいさん。         


50. 2010年2月20日 19:03:17
>47大賛成
悪徳ペンタゴンのうち、自民は既に終わった。
マスコミは現在溶解中。次は経団連と官僚ですよ。

小泉政権時代、彼らは自分達の都合のいい法律を散々つくり、
人間を物以下として扱ってきた。
官僚には減給も降格も責任も落選もありません。

民主には308議席がついている。
自信を持ってヘビーなパンチを連中に与えてください。


51. 2010年2月20日 19:16:01
トヨタにパンチを与えるノンフィクションの物語を書いている作家に鎌田慧(かまたさとし)さんがいる。44さんの指摘したことを、30年前に書いていますから、参考にしてください。鎌田慧さんは、我々の側で、立花隆とは180度違います。


52. 2010年2月20日 20:29:36
以前、三菱自動車がリコールせずに点検時に不具合を直していたが、同様のことがトヨタになかったか遡って調べるべきだ。つまり、無料の6ヶ月点検等の時に、こっそりということがまったくなかったかどうかだ。 機械である以上故障はつきものだし、大量に作ればその分トラブルも起こるはず。異常に品質が良いとなると、逆に今となってはあやしい。日産車にも長く乗ったが、電気系統等いろいろ細かい問題はあったけれど車として基本的な問題は無かった。今安いトヨタに乗っているが問題がないのが不安だ。節約のためユーザー車検をしたが、次は高いけれど、トヨタの販売店に出そうと思う。
今乗っているトヨタ、右側の前の死角が大き過ぎて、何度もひやりとしている。これはリコールとは関係ないが、死角のため事故の発生率が大きすぎれば、安全上問題だと思う。


53. 2010年2月20日 20:41:52
「第二経団連」の大義名分のひとつは「環境」でしょう。
会長こそしばらく出していませんが、経団連は元々が電力屋や製鉄屋の巣窟です。
そして、世界中が環境分野の技術開発・産業創造をしているなかで、日本が足踏み
している原因は彼らにあります。
例えば、「スマートグリッド」を加速する最も有効な手段は送電網を電力会社から
切り離して自由に需給両サイドに使わせることです。
(かつて、通信の自由化で電話網に対するビジネス参入を自由化しました)
当然のことながら、こうした構想を電力会社は総力を挙げて握り潰しています。
環境分野で日本が世界をリードするためには、皮肉な話ですが、電力会社のエス
タブリッシュメントを削ぐことが不可欠なのです。


54. 2010年2月20日 20:53:43
政治とは、国民から集めたお金を配分して国家を運営することですよね。
今度政権交代して、今までのインチキを直しましょうというのが小沢さん。
民主党議員には頓珍漢がまだまだ多い。
インチキの原点の経団連やら、サポート役のおいコラ集団やら。
いい加減にしろや。「エコ」はみんなインチキ。
おい、俺の納めた税金でハイブリッドなど買うなよ。
俺の納めた税金で、インチキ太陽光発電なんかするなよ。
全ての民主党議員に告ぐ。
もう少し理科とか社会とか勉強なされ。
科挙試験に合格した者は、がり勉で、一時成績がよかっただけ。
ホジュンたれ。


55. 2010年2月20日 21:00:40
>う~~ん、そうだったのか!
トヨタの問題点、すごく勉強になります。日本一の会社と無邪気に思ってました。
↑環境分野も大電力会社がネックなんですね。
う~~む、「阿修羅」で社会勉強してます。


56. 2010年2月20日 21:04:36
エロかろうがなんだろーが、読みたい内容の記事があれば、
私のようなおばさんでも買いますよ。
最近では、通勤電車の中で堂々と読みますとも。
それと、読み方を朝鮮風にすれば、それだけで「バカにできてる」と思う輩は
イタイわ~。書いてる側から大笑いだよ。
日刊ゲンダイの記事を批判したければ、まずちゃんと読んで、論旨を立ててから
主張しな!!
どーせまともなことも書けないで、はした金もらってやってるから、そうまで
哀れになるんだよ。人生の時間、もっと他のことに使えば?

さて、そのエロい記事もある日刊ゲンダイに書いてある「経団連・特捜部解体」、
なかなか興味深く読みました。実現できたら、この国は本当に変わるな、と。
これを本気でやろうという政治家がいるならば、やはり指示したいと思う。
選挙までの間だけでなく、やり切るまで注意深く見守りながら応援したい。
そして最後には、どうしても竹中平蔵の悪事を、1つ残らず日本国民の前で晒し、
多くの人によって罪状を吟味されたしっ!!


57. 2010年2月20日 21:49:55

上位だけ異常に多い、
怪しいランキングより

[おすすめ]を
チェックすべし

http://www.asyura2.com/10/senkyo80/index.html

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【出展引用以上の通り】

=================


2010-02-20 21:53:50

【誌面じゃ読めない「検察の『抗議』に抗議」のウラ話(週刊朝日)】

テーマ:ブログ
【出展リンク】: http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/551.html

【出展引用以下の通り】

===================

誌面じゃ読めない「検察の『抗議』に抗議」のウラ話(週刊朝日)

http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/551.html

投稿者 アルカディア 日時 2010 年 2 月 15 日 19:04:48: jjR5cYzLvBZKE

http://www.wa-dan.com/kougisho/

お騒がせした東京地方検察庁からの「抗議書」の顛末についてはすでに説明させていただいたとおりです。内容については2月19日号で筆者の上杉隆さんが論駁したように、まったくお話にならない「虚偽」に満ちたシロモノでした。そこで、週刊朝日は同号の上杉さんの記事にしたがって、「抗議書」に対する抗議と、新たな質問事項を書面にして東京地検の谷川恒太次席検事に送りました(別掲)が、当然のように返事はありません。

ただ、2月19日号掲載の上杉さんの反論記事に対しても、いまのところ抗議書も呼び出しもきていないので、検察は一連の〝違法捜査〟に関する上杉さんと週刊朝日の指摘を認めたものと解釈させていただきます。

それにしてもなぜ、検察はあのような「虚偽」に満ちた抗議書を送りつけてきたのでしょう。

検察内部の「関係者」から聞いた話では、上杉さんが最初に書いた、〈検察が何の罪もない若い母親である女性秘書を騙して呼び出し、10時間近くにわたって「監禁」し、「恫喝」を繰り返すという信じがたい人権侵害をしていた〉というスクープ記事を読んだ心ある読者や一般市民から、東京地検に抗議の電話が殺到したそうです。当該号が発売されたのが2月2日で、翌々日の4日には石川起訴、小沢不起訴発表というイベントを控え、当日までに「なんとかしろ!」と上級庁からきつく言われたらしいのです。

そこで、あわてた地検の谷川次席検事が編集長のわたしを呼びつけ、抗議の意を申し入れ、抗議書を渡すセレモニーがやりたかったようなのです。それが石川起訴の前日、3日のことでした。ところが、すでに説明させていただいたとおり、わたしが出張で不在のため、やむなく抗議書のみをファックスで送ってきたというわけです。

わたしは帰京後、ぜひ谷川さんにお会いしてお話をうかがいたく、何度か地検に電話を入れたのですが、「ご足労いただく必要はありません」ということになったのは、そういう事情があったようです。要するに、その日でなければ意味がない。もはや、わたしを呼んでも手柄にならない。わたしは不要になったわけです。

しかし、事態はすでにご存じのとおり、抗議のためにわたしを呼びつけようとしたことが「スワ、地検から出頭要請か?」「週刊朝日の編集長が捜査妨害で逮捕へ」などとツイッターを中心に爆発的に広がったため、火に油を注ぐ結果となりました。地検には「これは言論弾圧ではないか」といった抗議の電話が何倍にもなって返ってきたそうで、地検の「周辺筋」からわたしどものほうへ「なんとかならないのか?」といった話も伝わってきたほどです。残念ながら、それは編集部でもどうにもできない話でした。

そんなわけで、今週発売号にも上杉さんの「追撃」記事を掲載しています。

ところで話は変わりますが、「検察内部の『関係者』」と書いたことからおわかりのとおり、わたしどもには検察内部にも情報源があります。

こんなことを書くと、犯人探しが始まるのではないかと心配されるかもしれませんが、内通者はたくさんいるので大丈夫です。実は、一連の検察捜査批判記事に対して内部からも複数の応援メッセージが届いています。心ある検察官たちも、今回の「暴走検察」に対しては忸怩たる思いを感じているようです。

ある地方の検事さんからは、「週刊朝日の批判はもっともだと思う。しかし、あれは特捜部だけが異常だということをわかってほしい」という手紙をいただきました。大多数の検察官は、地方でまじめに地味な事件処理にあたっていることを知ってほしいという趣旨でした。その中から野心的な検事が東京や大阪の特別捜査部(特捜部)に集められ、そこで大きな手柄を立てれば組織内でいいポジションを得られ、退官後もいい暮らしができるということのようです。「暴走」の動機はカネと出世。どこにでもある話です。

いまでも、「ロッキードの堀田力さん」「リクルートの宗像紀夫さん」と言われるように、事件が大きければ大きいほど、歴史に名を残すことにもなります。もし、小沢一郎氏のような大物政治家を立件できれば、「一生食うに困らない」そうなのです。

ひとりの人間として、職業人として、その野心はわからないでもありません。しかし、そんな理由で事実が曲げられ、人権侵害まがいの取り調べや、恣意的な法の拡大解釈が横行しているとしたら、もはや「正義」などとは言えないでしょう。検察は「検察庁」という看板のついた建物ではありません。ひとりひとり生身の人間である「検事」の集合体です。生身の人間である以上、能力の優劣もあるだろうし、地位や出世に対する野心があるのも当然でしょう。その当たり前の前提を無視して「検察=正義」と考えるのは、とんでもない間違いです。人間の集まりである以上、邪な動機で捜査を始めることもあるのです。

リクルート事件の江副浩正さんが書いた『リクルート事件・江副浩正の真実』(中央公論新社)を読まれた方も多いと思います。本のまえがきには「本書は私が書いたものであるから、私にとって都合のよいように書いているところも少なくない」と謙虚に断りがしてあります。それを割り引いても、なかなかすごい内容です。読んでいない人はぜひ、読んでほしいと思います。

そのあとがきには、こんな記述があります。リクルート裁判が終わってしばらく経ったころ、江副さんがオペラ観劇で捜査当時の主任検事だった宗像弁護士とばったり会い、こんなことを言われたそうです。

「いやぁ、あの事件は本当に苦労しましたよ。当初は松原事件で江副さんまで贈賄申込みが繋がったら、そこで終わりにしたかったんですよ。ところが、松原さんに黙秘を貫かれ、松原さんの取調検事(堤守生特捜部副部長)の立場が悪くなって、止めるわけには行かなくなった。そこで捜査を続けざるを得ないことになって......(後略)」

ざっくばらんであけすけな物言いは人柄でしょうが、驚くのは「取調検事の立場を守るために捜査が継続した」という発言です。

一事が万事、おそらくこんなことは氷山の一角なのでしょう。

しかし、そんなことで使っていいほど「検察権力」は軽くありません。人ひとりの人生を抹殺し、地位を追うことなどあさめしまえ。たとえどんな権力者であってもです。実際、リクルート事件では多くの人が逮捕・起訴され地位を失いました。自ら命を絶った人もいます。「それは、悪いことをしたのだから当然でしょう」と思う人も少なくないと思います。わたし自身もそうでした。しかし、取り調べ中に「なぜこんなに関係のない人まで立件しなければいけないのか」と問うた江副さんに対して、宗像検事が次のように答えたというくだりを読んで、みなさんはどう思われますか?

「新聞が書いているのに立件しないと、特捜の権威が失墜してしまうのです」

つまり、法と正義に基づく判断ではなく、「特捜の権威」のために、次々と人を逮捕し起訴していったというのです。もはや法の支配とは言えません。もし、これらの記述が〝真実〟なら、わたしたちはとんでもない「権力」を野放しにしてきたということになるでしょう。それは半分以上、わたしたちメディアの責任だと感じます。

権力の監視はメディアの重要な役割です。しかし、それがほとんど機能していません。リクルート事件のころは、それでもまだ捜査に対する疑問の声が新聞紙上にも見られたと前掲書では紹介しています。それが今回の「小沢捜査」ではほとんどなかった。まさに大本営発表のような一方的な虚偽情報(検察に都合のいい情報)のみが垂れ流されて、世論形成や国民の政治行動に明らかに影響を与えるという状況は、健全な民主主義とは思えません。世の中が「小沢=悪」というひとつの方向に流れそうになっているときだからこそ、立ち止まって考えたい。そして、もう一方の権力である検察にも監視の目を向けなければいけない、というのがわたしの基本的な考えでした。

マスコミ正規軍である新聞やテレビとは違った視点を提供するのが、ゲリラとしての週刊誌の大事な役割だと思っているからです。口幅ったい言い方ですが、検察の尻馬に乗って「小沢叩き」するのは安全でリスクもなく誰にでもできることです。しかし、この圧倒的な大本営発表の流れの中で検察批判の立場にたつのは容易ではありません。でも、それをあえて面白がってするのが、週刊誌魂じゃないかって思っているんですが......。

「小沢も権力なら検察も権力である」

これは上杉さんやわたしが最近、好んで使うフレーズです。しかし、どちらの権力が強大かはもはや説明の必要もないでしょう。小沢さんがいくら権力を握っても、人の身柄を拘束して自由を奪うことまではできません。枝野幸男氏ら「反小沢」の入閣をじゃますることはできても、人生を抹殺することまではできません。

一連の報道に関して、「週刊朝日はなぜ、巨悪の小沢を擁護するのか?」と聞かれることもありました。もちろん、そんなつもりはありません。追及すべきファクトがないので書かないだけです。いま世間に流布している「小沢バッシング」のほとんどは、新事実というより検察に情報操作された印象論に過ぎない気がします。小沢の「金権体質」とはいったいどういうことなのか、「ゼネコンマネー」とは具体的に何なのか。「巨悪」と呼べる根拠はどこにあるのか。

週刊誌屋の性として、過去に松田賢弥さんや横田一さんらが暴いた以上の〝新事実〟を見つけることができなければ、大袈裟に騒がないのが普通でしょう。もちろん、見つけられたら、キチッとお伝えするまでです。週刊朝日が小沢追及を始めるとしたら、それは検察も知らない独自ネタで攻めることになるでしょう。

独自ネタや特ダネ、新事実もないのに「小沢叩き、みんなでやれば恐くない」ってハシャグのは、ちょっとカッコ悪いかなって思っています。

最後に、前回も書きましたが、わたしは検察が信頼されなくなるのは、社会にとってよくないことだと思っています。検事だって人間なので、カネも欲しいだろうし、いい暮らしがしたいのはわかります。酒を飲んで酔っ払うことだってあるだろうし、虫の居所が悪ければ被疑者を怒鳴りつけることもあるでしょう。それは人間だから当然です。

ただ、であるからこそ、自分たちが持っている権力がどれだけ大きいか、そしてその権力は国民からの「預かり物」であることの自覚を持ってほしいと思うのです。捜査権力は検事個人のためにあるのではありません。国民のために、便宜的に検事ら捜査機関の職員に与えられているものなのです。司法試験に受かったからといって、個人に付与された権力ではありません。それをよく自覚・理解して、みんなに愛され、支持される検察になってほしいと願っています。このままでは市民の信頼をどんどん失うことになってしまいます。それは、世の中全体にとってあまりよくないことではないでしょうか。

なんて、偉そうなことを書いてしまいましたが、わたし自身は単なるスケベで欲深なオヤジに過ぎません。たまたま「週刊朝日」という看板と名刺があって仕事ができているだけなのに、いつの間にか自分の実力だと勘違いして痛い目にあったことも一度や二度ではありません。人間は不完全な存在なのです。でも、だからこそ世の中って面白くて、週刊誌のような商売が成り立つんだろうなって、思ったりしています。

そんなわけで引き続き、ご愛読をよろしくお願いいたします。



拍手はせず、拍手一覧を見る
コメント

01. 2010年2月15日 19:12:27
これを書いたのは山口編集長ですか?
一応確認のため。


02. 2010年2月15日 19:18:48
文頭のリンクをたどれば、分かりますよ。


03. 2010年2月15日 19:19:56
失礼しました。
山口一臣週刊朝日編集長です。


byアルカディア


04. 2010年2月15日 19:29:14
週刊誌発行の矜持お聞かせいただきました。
週刊誌は、新聞の広告だけで内容がわかると、軽く見ていたことをお詫びします。
書いていただけなければ、石川議員の女性秘書の取り調べは、知る由もなかった。
取り調べ検事の名前や顔も知らなかった。その他の冤罪事件が、絡みあっていることも、自殺者が出るのは、筋がいいなどと恐ろしい言葉が、特捜内部で話されていることも知らなかった。何も知らなければ、ネットで検索することもできない。

巨大メディアや検察の、国民に対する犯罪行為を、骨身にしみて、知りました。
ありがとうございました。


05. 2010年2月15日 19:35:05
>「新聞が書いているのに立件しないと、特捜の権威が失墜してしまうのです」
糞すぎる。


06. 2010年2月15日 19:48:43
立件しないと特捜の権威は失墜するよ、特捜の中だけでな。
被害妄想官僚だな。


07. 2010年2月15日 19:50:59
たぶんこの二人は時の人になりましょう。
山口&上杉・・・頑張っていただきたい!


08. 2010年2月15日 19:51:17
先週2冊買った、今週も絶対買う!
頑張れ山口さん!


09. 2010年2月15日 20:39:02
すばらしいですね。応援しますよ。


10. 2010年2月15日 21:48:08
真っ暗闇に一点の光明を見る思いがします。「週刊朝日」山口編集長の謙虚にして自然体のジャーナリスト魂に心から敬意を表します。そして、今回の紙面つくりに携わった本物の記者や社員に対して国民の一人としてお礼申し上げます。


11. 2010年2月15日 21:50:32
「新聞が書いているのに立件しないと、特捜の権威が失墜してしまうのです」
特捜が嘘をリークして新聞に書かせる。
判断力のないマスゴミの記者がその通り書く。
書かない新聞は脅かして出入禁止にする。

はじめから筋書きは決まっているんだナ~

そんな特捜に権威なんてない。
ひとの自由を奪う権力だけ持ち合わせている。


12. 2010年2月15日 22:56:26
冤罪は検察の独走だけではなく、メディアの共犯が加わって起るということですね。現在の民主党をめぐる状況も、検察リーク→メディアの報道の拡大再生産の結果。真偽不明な事柄を全紙が一斉に報じている姿は異様です。みんながやってるし、自分だけ記事の責任を問われることもないからやっちゃえよということでしょう。山口氏の真摯な問題提起も揃って無視するんでしょうか。


13. 2010年2月15日 23:05:00
毎日これでもかの小沢叩きに反吐がでそうです。
朝日新聞購読ですがやめようと思ってます。
週刊朝日読んでますよ。集団ヒステリーでも起こしたかのような昨今のマスゴミ連中の中でまさに掃き溜めの中のツルのごとく検察に対しても物言う姿勢にどれだけ救われていることか。多くの良識ある読者は真実を報道してくれることを願ってます。
貴社を応援してます。頑張ってください!


14. 2010年2月15日 23:20:05
特捜の権威なんぞ便所紙すらならないことを有意の国民はもう知っているね、ウスラ馬鹿の特捜め。


15. 2010年2月15日 23:22:03
オラッチも出しましたが、週刊朝日と山口編集長への応援メールを出しませんか。
そして購読しましょう。


16. 2010年2月15日 23:23:02
すみません。上のコメントはアルカディアです。


17. 2010年2月15日 23:37:20
真実を伝えるジャーナリストがいなかったら、日本は確実に官僚独裁共産主義国に
逆戻りするでしょう。 今ちょうど、抜け出す格闘を国民がしている状況です。
油断したら、あっという間に、嘘ゴミに付けこまれ、国民が選択した権利をうばわれてしまうのです。
フリーのジャーナリストには海外で真実の報道をするために命を落とした方々も
たくさんおられるのに、記者クラブのゴミどもはその権力を傘に着て自分達の報酬
を守るために汲々としている。
心あるジャーナリストは、あらゆる機会に国民に真実の報道を伝えてください。
日本の未来は、あなた達にかかっています。応援します、戦ってください。


18. 2010年2月16日 00:14:46
歴史が明かす真実ということだろうが、この2つの事件が
「ロッキードの堀田」
この事件も今、米国の政府の公開書類により「MOMIKESU」という
朝日新聞の記事、実際は防衛疑獄だったはずが、田中角栄にすりかえられた。
当時、高野孟氏や田原総一郎氏がこの事件はおかしいと声を上げていたようだ

「リクルート事件」
この事件は稀代の経営者を葬り去った事で日本にとって大きな損失だったようなきがする
最近のライブドア事件とよく似ている、あくまでも予測だが
江副氏が通常通り経営をしていたら、ネット社会はもっと早く日本に定着していた
はずだし、マスコミ、メデアのトップ企業になっていたはず、江副氏がリクルート
を率いていたら、困る大企業がたくさんあったんだろうな~

正義、正義と言うが国家国民が結果的に損失を負う正義など必要ないし
そんな正義など国民は望んでない、


19. 2010年2月16日 00:28:49
ついでに 自民及び清和会メンバーの悪事も暴いてほしいですネ


20. 2010年2月16日 00:36:09
いい文章やね
少なくとも今のマスコミいるサラリーマン君には言えないは
ジャーナリストやマスコミ業界に自分の氏名をだして真っ当な事を言える人が少なすぎるよな
今回の案件は「法の下の平等」「マスコミの権力監視」が破壊されて進行した愚行な訳で

それをきちんと理解して意見を述べた人間がどれだけいるか…

それからマスコミや検察が暴走できるのはシステムの問題だと思います
人類社会はかつて3権は一体でしたがそれを分散させ相互チェックをする仕組みを考えたのです
今回のマスコミによる検証されない一方的な不確かな情報での国民の扇動と法の理念や精神を無視した検察の暴挙、これらはチェック機能があれば防げた暴走だと思います

だから早急にチェック機能を充実させて自由で公正公平な社会の創造して欲しいと思います

(それにしてもネットがあって良かった、無ければリクルートやロッキードの二の舞だったでしょうし、我々市民も検察にエールを送っていたでしょう
そして真実と正義は葬り去られたままだったように思います)


21. 2010年2月16日 00:47:01
週刊朝日をまた買います。
ジャーナリストを自認するならこれが当たり前だと思うのですが、その当たり前のことができない「なんちゃってジャーナリスト」が多すぎて、週刊朝日、山口編集長が目だってしまってますね。
ほかのヤツらはなにをしてるんだ、今がんばらないで何時頑張るんだと叱りつけてやりたいです。



22. 2010年2月16日 00:51:04
検察一家、検察一体と言われる中で難しいとは思いますが、ぜひ「心ある検察官たち」に声を上げて欲しいし、立ち上がって貰いたいものだと思います。


23. 2010年2月16日 01:26:10
読み終わって何だか、喉のところがすっきりしてきました。良いお仕事をなさっていますね。国民の一人として、感謝いたします。 今後の報道に期待いたします。 
質問。 週刊朝日の方向は見えるのですが、新聞の方は二分されているのですか? 星氏のようにあきらかにわかる嘘を平気でTVの前で言う記者もいれば、12日のスクープをした二人の記者もいる。更に、その前に宗像氏の警察批判のコメントも出していた。 マスコミ談合をしながら、世論をみながら。。。どこに向かって動いているのですか - 


24. 2010年2月16日 01:57:44
最近テレビのニュースはほとんど見ない、お笑いはあまり好きではないのでクイズ番組をたまに見る。
昨晩のテレビ朝日でQさまというクイズ番組を見ていたのだが思わずぶっ飛んでしまった。
通常なら漢字の読みや人名や地理や歴史のことなどを答える問題ばかりなのだが、空いた所に2,4,6のいずれかの数字を当てはめるという問題の中にいきなり、「陸山会の虚偽記載の金額は□億円」で答えは4、続いて「鳩山政権の1月の支持率は□2%」で答えは4などという問題が挟み込まれていたのだ。
その前の問題は「関が原の戦いは1□00年」で答えは6などのごく普通のクイズ問題だったので異様さがよけいに際立っていたし、鳩山政権の支持率の問題ではご丁寧にフリップが用意してあり朝日新聞調べの支持率の推移をグラフにしたものを見せて11月、12月、1月と支持率が急降下していることを印象付けるようなことまでしていたのだ。このようなクイズ問題は過去に経験がない。
テレビのニュース報道やテレビタックルなどの政治バラエティが偏向していることはわかっていたが、クイズ番組にまで魔の手が伸びているとは考えもしていなかった。おちおちクイズ番組も見ていられない状況である。
本当に怖い世の中になってきたなという思いである。
検察もそうであるがマスゴミやその裏で色々画策する電通などの巨大企業を今何とかしなければ日本の未来は暗いものになりそうだ。突破口はないものだろうか。



25. 2010年2月16日 03:27:31
なんだろう、久々に感動した。
私達からしたらメディアも強権力の一つでしかない。
特に今回のような集団だと恐怖感さえ憶える。

山口一臣氏のような人が一人でも多くなる事を望むばかりです。


26. 2010年2月16日 05:20:14
山口さん、テレビでお顔を拝見しています。貴方のお人柄そのものが、お顔ににじみ出ています。信頼できる人物であると。それにつけても、みのもんた、人柄悪そうですね。


27. 2010年2月16日 06:27:39
テレビ・新聞のバカどもに・爪の垢を煎じて飲ませたい。
山口さん・ご活躍ください。


28. 2010年2月16日 08:08:16
いいねー。いい仕事をしてるよ 山口さん! こないだの朝日は迫力ガタ減りしてたから、心配したんだよ。がんばんなよ。
だけど、宗像ってひどい男だね。テレビでころころ言うことが変えたり。誇りってものがないんだよ。
あんたの話を聞いて余計情けないよ。所詮これだけの男だったんだね。がっかりしたよ。


29. 2010年2月16日 09:10:40
こんな野心に満ちた優秀な検察官が、巨悪の忠実な権力の犬となる。
そして知ってか知らずか売国の輩に堕ちる。
悪い冗談だろ。


30. 2010年2月16日 10:06:15
近時、マスメデァの余りにも創られた報道に辟易して居た処、胸の塊が解ける、明快な解説記事を拝読いたしました。此の処、毎週号を拝読いたしております。
一般・大多数・殆どのマスメデァが、検察側からのリークに依る、世論誘導の記事で有るのに対して、「週刊朝日」は、果敢に、中立・公正・公平の立場で、記事を編集された山口編集長さんの誠意と勇気に対して、賞賛の意を贈りたいと思います。そして、心からの応援を申し上げたいと存じます。

今後も、一層の御活躍をお祈り致します。



31. 2010年2月16日 10:37:00
経緯、興味深く拝読。
言いたいことがよく分かり、
とても応援したいと思います。

しかし、
文体、論調が なんだか幼稚に思えるのは私だけ?

奥歯に物の挟まったような表現、
あまりに控えめな表現、

つまり、検察に読まれても怒られないような
情報操作している大本営に対し気を使っているような。。。


>「小沢叩き、みんなでやれば恐くない」ってハシャグのは、ちょっとカッコ悪いかなって思っています。

>このままでは市民の信頼をどんどん失うことになってしまいます。それは、世の中全体にとってあまりよくないことではないでしょうか。

もぅっ!
なんだか歯痒いこと。
気ィ使いーしないと、組織の安全が保てないのね。
同情半分、日本国の現状を憂う半分、
応援継続決心。
ほかに何かできないかなぁ。。。

ジャーナリストたちはこの状況をどう思っているのだろう。
彼らの青雲の志を今一度喚起したい!!!

なーんて硬くいうと
よくないのねきっと。

失礼しました。


32. 2010年2月16日 10:37:12
メディアも救いがあると思いたい。
検察もやはり特捜部は解散しないと駄目かもね。
投稿の内容を読んでいるうちに出世競争のネタにさせられているという感じがよく判りました。しかもヤメ検弁護士になると○○事件担当のと枕詞が大事になってくる。冗談じゃないあんた達の出世のために足蹴にされ命まで落とした国民を何だと思っているんだと。それこそ退官者含め現職も国民審査が必要では?警察も一緒に。
弁護士も必要かも。選挙がない分何か国民審査制度が必要と思われますね。
知識人財界などは駄目ですよ、どうせ雇われになりますから。


33. 2010年2月16日 10:48:24
>24.
なんと、テレ朝はそこまでやるか!
即日、放送免許剥奪すべきだ。
総務省へメールを送ろう。
それにしても、民主党はなにをしている。
危機感がなさ過ぎる。
衆議院で大量議席を貰ったからとのんびり構えすぎてはいないか。


34. 2010年2月16日 11:07:27
今週号の週刊朝日では、上杉隆氏が『官邸は卑劣な検察権力の代弁者なのか』というタイトルで、週刊朝日誌上で報じた検察の卑劣捜査について質した質問主意書への鳩山内閣の答弁書に対して(答弁拒否)、怒りの声を掲載しています。石川議員の女性秘書を騙して呼びつけ、10時間近くにわたって監禁し恫喝をした取調べをしたことに対して、鳩山首相と千葉法務相が見てみぬ不利をしていることへの怒りです。鳩山内閣は答弁書でと、検察の取調べに事実上「正当性」というお墨付きを与えてしまった、としています。
鳩山首相、千葉法務大臣、あまり刺激を与えないように、という配慮でしょうか。どうぞ、人権の蹂躙を平気で行う地検への批判をお願いします。


35. 2010年2月16日 11:22:41
今週号の週刊朝日、室井佑月氏が毎週連載しているコラム「しがみつく女」で面白いことを書いています。タイトルは「君らはホントにそれでよいのか」。2月4日に不起訴が決定したことに、東京地検特捜部が記者会見で内容の詳細については触れない、テレビカメラはNG、フリー記者も出席させなかった、として、「なんつう、勝負汚い人達なんだ」と書いています。室井氏は、その日、T新聞とY新聞からコメント取材を受けたとか。T新聞の記者は「じつは、一連の小沢問題で検察もおかしいんじゃないかという読者からの声が多かったんですよ」と話したとか。しかしY新聞は「小沢は国民に、ちゃんと説明責任を果たしたと思いますか」という質問。彼女は「一応、答えが出たのだから、あたしはむしろ検察の説明を聞きたいね。それと、検察からの情報を垂れ流したマスコミの説明も」と返答。が、Y新聞記者は「検察とマスコミにではなくて、小沢の・・・・」と繰り返したそうです。結局、彼女から、「Y新聞の趣旨にあわなかったら、今回の取材はなかったことにしても、全然オッケーですから」といったところ、記者はホッとしたとか。結果、彼女のコメントは掲載されず。最後に彼女はこう結んでいます。「あたしはオッケー。でも、君らはホントにそれでよいのか?」
全く、Y新聞社の偏向姿勢がよくわかるコラムです。


36. 2010年2月16日 12:48:40
もっと権力のなすがままなのが、刑務所のなかですよ。
こんなふうに報道されることもありませんし、収監されてるほとんどは、社会の最下層にいる人たちですから、世間の耳目もあつめませんが。
しかし、てはじめに、刑務所のウラ金作成・天下り組織である矯正協会のことから、調べてみるのがいいのではないでしょうか>週刊朝日


37. 2010年2月16日 12:56:14
> 10. 2010年2月15日 21:48:08
真っ暗闇に一点の光明を見る思いがします。「週刊朝日」山口編集長の謙虚にして自然体のジャーナリスト魂に心から敬意を表します。そして、今回の紙面つくりに携わった本物の記者や社員に対して国民の一人としてお礼申し上げます。
日本の天台宗の開祖 【伝教大師】 最澄(さいちょう )さんは「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という素晴らしい言葉を残しています。
10さんが言われるように、大変な人物と思われます。山口編集長、上杉さんに
光明あれ。


38. 2010年2月16日 13:44:15

痩せ蛙負けるな山口&上杉
是にあり


39. 2010年2月16日 15:55:28
願わくば、朝日ジャーナルを復刊して、山口さんが初代編集長になってほしい。


40. 2010年2月16日 15:57:19
外国人参政権が嫌だから小沢は逮捕されてよし


41. 2010年2月16日 16:07:01
今週号の週刊朝日では『暴走検察の果て 「罪なき罪」をつくる検察の大罪』というタイトルで、魚住昭氏が聞き手となって、三井環氏と緒方重威氏(元広島高検検事長。 07年に朝鮮総連中欧本部の不動産売買に絡む詐欺事件で東京地検特捜部に逮捕され、09年に東京地裁で執行猶予つきの有罪判決)が対談をしています。やはり、小沢氏の剛腕に戦々恐々とした結果の検察の大騒ぎだとしています。緒方氏は、後輩の憲二に大声で怒鳴られ人格を壊されたと振り返っています。
鈴木宗男氏は、三井氏を法務委員会で参考人招致して裏ガネ問題を追及したいと言っているそうです。三井氏は獄中で政権交代を迎えたが、政権が代わった今こそ、検察が自らを正し、清らかな身体で再スタートを切る最大のチャンスだと言っています。
是非、鈴木氏には実現してもらいたいと思います。


42. 2010年2月16日 16:09:45
> ある地方の検事さんからは、「週刊朝日の批判はもっともだと思う。しかし、あれは特捜部だけが異常だということをわかってほしい」という手紙をいただきました。
私には、受け入れられません。
というのも、地方検事も異常であることを、実体験したからです。詳細はかきません。検察審査会も無能です。

そもそも、冤罪事件はどこで発生していますか?
全国に散らばっています。決して東京、大阪だけではありません。

菅谷さんの事件を見てもお分かりのように、冤罪を生み出した個々の担当者は謝罪しません。何もかも分かったうえで当時も行動していたはずです。
菅谷さんの怒りは理解できます。

本文にある「地方の検事さん」の身内びいきがなくならなければ、冤罪はなくならないし、冤罪に巻き込まれた人々を救うこともできない。


> わたしは検察が信頼されなくなるのは、社会にとってよくないことだと思っています。

検察に不当な待遇を与えられた方々には、同意を求めるのは難しいでしょう。
検察(特捜だけではない)への不信感を国民に植え付けたのは、検察自身なんですから。


43. 2010年2月16日 16:25:04
週間朝日を2冊づつ買って
アンチ民主党のおじさんに1冊づつプレゼントしています
応援メールを送って、雑誌を買って・・・
他になにか応援することはないでしょうかね~


44. 2010年2月16日 16:51:48
>43
ビデオニュース・ドットコム のようなメディアを広げよう。
http://www.videonews.com/

偏向新聞や偏向テレビ番組に広告を出すのではなく、週刊朝日やビデオニュース・ドットコムに広告を掲載したほうが、ずっと広告費の有効利用であることを多くの人に伝えよう。

さらに、ヤフーのニュース欄にこのメディアの記事タイトルがもっと載って多くの人が見られるようにするための知恵を。皆で会費を出して、露出度をあげるとか。
そうやって、真のジャーナリズムを育てよう。支援しよう。


45. 2010年2月16日 17:41:41
ロックフェラーの友は911を事前に予告した
http://www.youtube.com/watch?v=EeWqlJHzcSo
http://www.youtube.com/watch?v=f0PDhMZf6Yc


46. 2010年2月16日 17:47:55
24,33さん、そうなんですよね。私はこの番組が好きで、報道は見なくてもこれはいつも見ていたんですが、あの問題には呆れかえってしまいました。出演者達は「時事問題か」と何気なく通過しようとしていましたが、私は唖然としてしまい、急に具合が悪くなったような気になりました。それにしても、あの手この手の各局の悪知恵比べ、もうちょっとましなことに向けてくれないものでしょうかね。こういう刷り込みがいたるところでおこなわれている事に、視聴者はもうそろそろ気がついてほしいですね。そら恐ろしくなります。


47. 2010年2月16日 18:05:09
>内通者はたくさんいるので大丈夫です。実は、一連の検察捜査批判記事に対して
>内部からも複数の応援メッセージが届いています。心ある検察官たちも、今回の
>。ヨ暴走検察」に対しては忸怩たる思いを感じているようです。
特捜部以外の大半の人がそうだったりして。
特捜部の方も一緒に仕事をしているなかで少なからぬ同僚が
批判的な目で見ていることを意識に入れてはいかがでしょうか。
職場の人間関係は大事ですから。

ところで、週刊朝日が怒涛の流れに抗するには、こちらで考える以上の気力が
必要だったろうと思います。

>ゲリラとしての週刊誌

そうなんですよね。新聞と同じことを書く週刊誌に存在意義はなかろうと
思うのですが。


48. 2010年2月16日 18:53:44
なんで「宗像さんは、とんでもないやつだな」
という発言がでないんだ、なんで特捜でくくるんだ、
なんで個人を批判しないんだ、
不思議だな。


49. 2010年2月16日 21:04:28
朝日ニュースターのヤマちゃんの番組も見ています。がんばってください。山口様


50. 2010年2月16日 21:45:20
ただ一つ言えることは、もしあの世というものが有るとすれば
特捜部の検事は確実にあの世で地獄に落ちる。
神は必ず特捜部の悪人どもを罰するだろう。


以下のコメント省略


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【浅田真央 2009世界選手権ショート ♪月の光】

【浅田真央 2009世界選手権ショート ♪月の光】

. http://www.youtube.com/watch?v=veaVyyTmK90




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【世界フィギュアスケート選手権 浅田真央ドキュメンタリー (1~6)】

1. http://www.youtube.com/watch?v=SJGClIKKSIc

2. http://www.youtube.com/watch?v=biDMh9nzXP4

3. http://www.youtube.com/watch?v=xmCHlWEj_is

4. http://www.youtube.com/watch?v=a0WAX-9Jdgc

5. http://www.youtube.com/watch?v=Vid-RvuyoXI

6. http://www.youtube.com/watch?v=KZd5neYfKFs


===================== 

【出展引用リンク】:  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E3.83.95.E3.82.A3.E3.82.AE.E3.83.A5.E3.82.A2.E3.82.B9.E3.82.B1.E3.83.BC.E3.83.88.E3.81.AE.E8.B5.B7.E6.BA.90


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フィギュアスケートの歴史


フィギュアスケートの歴史は、スケート競技のひとつであるフィギュアスケートの起源から発生、現在に至るまでの経過。ただし、起源に関しては諸説あるため、現在最も有力とされている説を中心に話を進めることとする。




フィギュアスケートの起源


スケートの起源は旧石器時代にまで遡る、とされる。スイスやイギリス、スカンディナヴィア半島などヨーロッパの広い地域でマンモス、シカ、ウシなどの骨を加工した獣骨スケートが見つかっている。このころのスケートはスキーやソリなどと同様に、物資を運ぶ手段として用いられたと考えられている。


時代が下り中世以降は、オランダのフリースラント州やイギリスのケンブリッジシャー州付近などの沼沢地帯でスケートは発展していった。オランダでは、12世紀ころから運河の建設が行われていたこともあり、17世紀には既に都市と都市とを網の目のように結ぶほど運河が発達した。この運河が結氷するとアイスリンク代わりとなり、スケートはあらゆる階層の人々の娯楽として発展していった。


しかし、娯楽としてのスケートの発展とともに農民階級と貴族階級とではスケートに対する考え方の違いが生まれていく。目的地に向かってできるだけ早く到着することを重視した農民階級に対し、貴族階級では優雅さや芸術性を重んじた。やがて貴族階級の人々は、両腕を組み背筋を伸ばして滑走する独特の滑走術を生み出し、このオランダ貴族の滑走術はヨーロッパ各地の貴族階級に広がっていった。ここにスピードスケートとフィギュアスケートの分岐を見ることが出来る。


フィギュアスケートの発展


ヨーロッパでの発展


このオランダ貴族の滑走術をイギリスに伝えたのは、1660年の王政復古とともにイギリス本国へ戻ったスチュアート家とされる。オランダ貴族の滑走術は「ダッチロール」と呼ばれ、シルクハットとモーニングの衣装とともにイギリスのエディンバラを中心に流行し、1742年にエディンバラに世界初のスケートクラブであるエディンバラ・スケートクラブが創立された[1]。エディンバラのクラブでは、優雅な姿勢に重点を置いたダッチロールから、トレースによって曲線を描く技術に重点を置くようになっていった。1772年には、イギリスの砲兵隊副官ロバート・ジョーンズによって世界初のフィギュアスケート指導書である「スケーティング論(A Tratise on Skating)」が出版され、アウトやインのエッジでサークルやハート型を描く技術を説明した。
同じころ、ドイツではグーツ・ムーツが1773年に「青少年の体育(Gymnastik fur die Jugend)」を著し、フィギュアスケートをスポーツとして位置づけ、1795年にはフィートが「体育百科事典」でさまざまな図形を紹介した。また、フランスでも1813年にガルシンがフィギュアスケートに関する著書を発表するなど、ヨーロッパ各地で滑走方法や図形の研究が盛んになっていった。
19世紀になると、イギリスでは優雅な芸術性よりも難度の高いターンや図形の創作にますます関心が高まっていき、やがてコンパルソリーフィギュアの原型へと発展していくこととなる。


北米での発展


一方アメリカでは、ヨーロッパの移民などからスケートが伝わり、独自に発展していった。19世紀中ごろには、バレエ教師のジャクソン・ヘインズがスケートにバレエのポーズやダンスのステップを取り入れ、音楽に合わせて滑走を行い好評を博した。ヘインズは1868年と1871年にヨーロッパを訪れ、ウィーンやブダペスト、ベルリンなどでエキシビションを行い、特にウィーンではシュトラウスやモーツァルトの音楽に合わせ、ワルツやマーチのステップで滑走し、大成功を収めた。ウィーンでの成功により指導を請われたヘインズは、音楽とステップを融合したスタイルをコンチネンタルスタイルと称しウィーンにスケート学校を設立したが、ヘインズは1875年にフィンランドで生涯を終えた。ヘインズの指導を受けた人々は、その後もコンチネンタルスタイルを発展させやがてインターナショナルスタイルと称されるようになり、フリースケーティングの原型へと発展していく。なお、シットスピンを開発したのはヘインズであり、シットスピンは別名ジャクソン・ヘインズスピンとも呼ばれる。


オリンピック


オリンピックでは、1908年10月に開催されたロンドンオリンピックで初めて男女シングルとペア、スペシャルフィギュアの4種目が実施され、1920年の第7回アントワープオリンピックでは男女シングルとペアの3種目で再び実施された。当時はまだ冬季オリンピックが開催されておらず、夏季オリンピックでの実施であった。1924年に第1回冬季オリンピックであるシャモニーオリンピックで男女シングルとペアの3種目が実施され、1976年のインスブルックオリンピックからはアイスダンスも加わり、現在に至るまで冬季オリンピック競技として実施されている。

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常に、自己のベストを求める者の姿は、何よりも美しい。

【がんばれ、真央ちゃん】

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エルヴィス・プレスリー



【出展引用リンク1】: http://www.youtube.com/watch?v=moUifEmOcbU



 an anerican trilogy
カテゴリ:  音楽
タグ: 




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【出展引用リンク2】: 




引用:以下の通り


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エルヴィス・プレスリー
エルヴィス・プレスリー(ホワイトハウスにて・1970年)
エルヴィス・プレスリー
(ホワイトハウスにて・1970年)
基本情報
出生名エルヴィス・アーロン・プレスリー
別名エルヴィス
ザ・キング・オブ・ロックンロール
ザ・キング
出生1935年1月8日
出身地Flag of the United States.svg アメリカ合衆国 ミシシッピ州
死没1977年8月16日(満42歳没)
ジャンルロックンロール
カントリー
ゴスペル
ブルース
カントリーロック
職業歌手
音楽家
俳優
担当楽器ボーカル
ギター
活動期間1954年 – 1977年
レーベルサン
RCAビクター
  
エルヴィス・アーロン・プレスリー (Elvis Aaron Presley1935年1月8日 – 1977年8月16日)は、アメリカロックンロールミュージシャン。ミドルネームは墓石にはAaron とつづられているが、サイン、公文書共に Aron である。キング・オブ・ロックンロールまたはキングと称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている。1977年8月16日、心臓発作により急逝。42歳だった。




プロフィール [編集]

黒人リズム・アンド・ブルース白人カントリー&ウェスタンを融合することによって、今までにない新しい音〈ロック〉を誕生させ、広めた人物として知られる。初期はアメリカ、そして世界中の若者にロックンロールによって人気を博し、後期になるとラスベガスの舞台でカントリーやゴスペル、バラードなどを歌い、万人に愛される人物となった。
エルヴィスは最初、「The Hillbilly Cat(田舎者の猫)」という名前で歌手活動を始め、その後すぐに歌いながらヒップを揺らすその歌唱スタイルから「Elvis the Pelvis骨盤のエルヴィス)」の愛称で呼ばれるが、アメリカのバラエティー番組『エド・サリヴァン・ショー』の3度目の出演の際には、保守的な視聴者の抗議を配慮した番組関係者が意図的にエルヴィスの上半身だけを放送したというエピソードが伝えられている。その際にサリヴァンが「このエルヴィス・プレスリーはすばらしい青年です」と紹介したことからサリヴァンにも罵声が飛んだ。しかしこのおかげでエルヴィスへの批判は少なくなった。また、フロリダの演奏では下半身を動かすなとPTAYMCAに言われ、小指を動かして歌った。この時には警官がショーを撮影し、下半身を動かすと逮捕されることになっていた。
KWKラジオではエルヴィスのレコード(「ハウンドドッグ」)を叩き割り、「ロックンロールとは絶縁だ」と放送。ロックンロールが青少年の非行の原因だと中傷され、PTAはテレビ放送の禁止を要求など、様々な中傷の標的になった。
エルヴィスの記録は多数あり、例えば、最も成功した音楽アーティスト、最多ヒットシングル記録(151回)、1日で最もレコードを売り上げたアーティスト(死の翌日)、等がギネスによって認定されている。

生い立ち [編集]

エルヴィスはミシシッピ州チューペロの小さな家で、ヴァーノン・エルヴィス・プレスリーおよびグラディス・ラヴ・スミス・プレスリー夫妻の間に1935年1月8日に生まれた。彼はチューペロで幼年期を過ごし、13の時に一家はテネシー州メンフィスに転居した。彼には双子の兄弟ジェシー・ガーロン・プレスリーがいたが、誕生時に死亡している。一家は1949年にロウダーデール・コート公営住宅に転居する。エルヴィスは11歳からギターを始め、ロウダーデール・コートの地下洗濯部屋で練習をした。彼はそこに住むミュージシャン達と演奏を行った。エルヴィスは高校卒業後に精密金型会社で働き、次にクラウン・エレクトリック社のトラック運転手となる。 スコットランド人作家アラン・モリソンはエルヴィスがスコットランド系であったと主張する。彼はその著書でエルヴィスの先祖が1700年代にアバディーンシャーのロンメイで暮らしていたことを発見したとする。また、記録によるとアンドリュー・プレスリーが1713年にロンメイでエルスペス・レッグと結婚したとしている。彼らの息子アンドリューが1745年にイギリス植民地に移住したとのことである。また、ケビン・コスナーは自著本で、プレスリーがアイルランド人の血を引いていると主張している。同時に、プレスリーはドイツユダヤ人の血を引いており[1]、さらに4代前の祖母は、純血のチェロキー族インディアンである。
1950年代のアメリカでは音楽も人種隔離的な扱いを受けている部分が多く残っており、当時のロックンロールのヒットソングも黒人の曲を白人がカバーし、そのカバー版が白人向けの商品として宣伝され、チャートに掲載され、またラジオなどで流れる傾向にあった。例え同じ歌を同じ編曲で歌ったとしても、黒人が歌えばリズム・アンド・ブルースに、白人が歌えばカントリー・アンド・ウェスタンに分類されることが常識だった。エルヴィスは、このような状況にあって黒人のように歌うことができる白人歌手として発掘された。

サン・レコード [編集]

1953年の夏にエルヴィスはメンフィスのサン・スタジオで最初の両面デモ・アセテート盤を録音するため4ドルを支払った。収録曲は当時のポピュラーなバラード “My Happiness” と “That’s When Your Heartaches Begin” であった。サン・レコードの創業者サム・フィリップスとアシスタントのマリオン・ケイスカーはその録音を聞きエルヴィスの才能を感じ、1954年6月に行方不明の歌手の代理としてエルヴィスを呼んだ。セッションは実り多いものであったかは分からなかったが、サムは地元のミュージシャン、スコッティ・ムーア、ビル・ブラックと共にエルヴィスを売り出すこととした。
1954年7月5日のリハーサル休憩中にエルヴィスは “That’s All Right, Mama” をいじくり始め、サムはエルヴィスが適所を得たかもしれないと考えて録音ボタンを押した。即興での演奏でドラムスが不在であったため、ベースをかき鳴らしての演奏となった。B面に“Blue Moon of Kentucky” が収録されたシングルは、WHBQラジオが放送した二日後に、メンフィスでのローカル・ヒットとなった。また、公演旅行は彼の評判をテネシー中に広げることとなった。ラジオを聴いた人たちは黒人歌手だと勘違いしていた。
サンとの契約下でエルヴィスは5枚のシングルをリリースした。
  • “That’s All Right / Blue Moon Of Kentucky” - Sun 209, 1954年7月19日
  • “Good Rockin’ Tonight / I Don’t Care if the Sun Don't Shine” - Sun 210, 1954年9月25日
  • “Milkcow Blues Boogie / You’re A Heartbreaker” - Sun 215, 1954年12月28日
  • “Baby Let’s Play House / I’m Left, You’re Right, She’s Gone” - Sun 217, 1955年4月10日
  • “Mystery Train / I Forgot To Remember To Forget” - Sun 223, 1955年8月6日
これらの多くはリズム・アンド・ブルースまたはカントリー・アンド・ウェスタンのヒット曲のエネルギッシュなカバーであった。レーベルには「エルヴィス・プレスリー、スコッティー・アンド・ビル」とクレジットされた。10曲の中で最短の曲は1分55秒、最長のもので2分38秒である。
1955年8月18日にエルヴィスの両親はプロデューサーのトム・パーカーとの契約書に署名し、サン・スタジオとの関係は終了した。

RCA [編集]

エルヴィスは1955年11月21日RCAレコードと契約した。1956年1月28日に「CBS-TVトミー・ドーシー・ステージ・ショウ」にてTVに初出演し、黒人のR&Bを歌う。そこで彼は白人らしからぬパフォーマンスを披露したが、これに対してPTAや宗教団体から激しい非難を浴びせられた。しかし、その激しい非難にもかかわらず、それを見た若者たちは、エルヴィスのファンになっていった。

1957年
1956年1月27日に第6弾シングル “Heartbreak Hotel / I Was the One” がリリースされた。これは1956年4月にチャートの1位に達した。Heartbreak Hotel はその後数多く登場したミュージシャンに多大な影響を与えた。
エルヴィスが1977年に死去するまでの21年間に、146曲が100位以内に、112曲が40位以内に、72曲が20位以内に、38曲が10位以内にチャートインした。1962年4月21日から2週連続で1位を獲得した「グッド・ラック・チャーム」を最後にエルヴィスは1位から遠ざかったが、1969年11月1日、「サスピシャス・マインド」が1位を獲得し、「エルヴィスの復活」と言われた。1972年10月28日には「バーニング・ラヴ」が2位まで上り詰めたが、チャック・ベリーの「マイ・ディンガリング」(1972年10月21日から2週連続1位)に阻止された。70年代においてはエルヴィスは一度も1位を取ることはなかったが、2002年にリメイクされた「ア・リトル・レス・カンバセーション」は世界24カ国でナンバー1を取得した。アメリカにおいて1位を獲得したシングルの数は18作〈計80週間〉で、ビートルズの20作〈計59週間〉に次ぐ2位の記録となっている(Billboard誌に準拠)。
レコーディング場所について1950年代はニューヨークにあるRCAスタジオを利用したことがあったが、エルヴィスのキャリアにおいて、主演映画の挿入歌以外のレコーディング場所で最も利用されたのはテネシー州ナッシュヴィルにあるRCAスタジオBである。しかし、1972年以降はハリウッドにあるRCAスタジオや地元メンフィスのスタジオを利用した。更に1976年になると、RCAスタッフがエルヴィスの自宅(グレイスランド、ジャングルルーム)に録音機材を持ち込み、レコーディングを行った。
後年レコーディング自体に関心を示さなくなったのは、RCAのミキシングがエルヴィスの意向にそぐわなかったことや体調不良等の様々な理由があると思われる。しかし、エルヴィスは最後まで一発撮りと呼ばれる1テイク完成型のレコーディング・スタイルにこだわった(いくつかのテイクをつなぎ合わせて一つの曲として発表する形式や曲の別録りといった選択肢もあったが、エルヴィスはそれを嫌い、現在まで発表された曲数が700以上ある中で、そのような形式で発表した曲は少ない)。そのため、エルヴィスの死去後現在まで様々な未発表テイクが発掘されており、その中には発表されたテイクと違った趣向のものもある。後年、レコーディングに関心がなくなった頃は、体調不良を訴え、「歌のレコーディングは後で必ずするからミュージックだけ録音しておいてくれ」と言うこともあったが、ほとんどの場合、それは実現しなかった。

ヒット曲 [編集]

ナンバー1ヒットは全18曲、合計80週間である。曲数はビートルズに次ぐ歴代2位である。週間数に関しては歴代1位である。ちなみに2位はマライア・キャリーの79週。(ビルボードに準拠)

全米ナンバー1獲得曲 [編集]

その他 [編集]

Follow That Dream レーベル [編集]

エルヴィスがそのキャリアにおいて発表した曲の未発表テイクが数多く存在するが、プライベート録音を含め、すべての残されたエルヴィスの音源を聴きたいというファンの要望に応えるべく立ち上げられたものが、主演映画のタイトルから引用した Follow That Dreamレーベルである。
このレーベルのアルバムは限定生産され、世界中のファン・クラブ[に優先的に流通させるので一般のCDショップ等に出回りにくい。1999年に第一弾 Barbank’681968年のNBC-TVスペシャルのリハーサルの模様を収録)がリリースされた。以後、定期的に貴重な音源が次々とリリースされ続けている。わずかだが一つの曲のすべてのテイクを聴くことが出来たり、コンサートアルバムはエルヴィスのコンサートを体験することが出来なかったファンにも(音声だけだが)追体験出来るような内容になっている。

軍歴 [編集]

1958年1月20日に、エルヴィスはアメリカ陸軍への徴兵通知を受けた。当時のアメリカ合衆国は徴兵制を施行しており、陸軍の徴兵期間は2年間である。彼は特例措置を受けることなく、通常の兵士として西ドイツで勤務し、1960年3月5日に満期除隊した。エルヴィスは軍在籍中に、空手黒帯を取得し、軍曹まで昇進した。徴兵命令が来た際、エルヴィスは「闇に響く声」を製作中で、徴兵を少し延期したことでも話題になった。徴兵局はパラマウントからの延期の申し入れに対し、「エルヴィスをよこして頭を下げさせろ」と伝えた。翌日、エルヴィスは徴兵局へ出向き、延期の申し入れを行った。軍に在籍中、病気にかかり軍の病院において扁桃腺炎だと診断された。その際、医師はエルヴィスの声が変調するのを恐れて、扁桃腺の切除手術は行わなかったが、回復し健康を取り戻した。

結婚そして離婚 [編集]

1967年5月1日には、ラスベガスのアラジン・ホテルでプリシラ・アン・ボーリュー結婚。プリシラはエルヴィスのドイツでの所属部隊長の継子であった。エルヴィスは母親と継父に未成年であったプリシラを自分の父親とその妻の家に彼女を同居させ、有名なカソリックの女子高に通わせて、きちんと卒業させるということを約束してプリシラをメンフィスで暮らせるようにした。しかし、程なく二人はグレイスランドで一緒に暮らすようになっていく。8年後に結婚し、1968年2月1日には娘リサ・マリー・プレスリーが生まれる。
その4年後、結婚前から続いているエルヴィスの生活習慣(昼と夜が逆転した生活、メンフィス・マフィア(エルヴィスの取り巻き)といつも一緒の生活、さらに年間何ヶ月にも及ぶコンサートツアーによる別居生活などのさまざまな理由から、彼女は空手教師のもとに走り、二人の結婚生活は破綻してしまう。グレイスランドを出たプリシラはリサ・マリーを引き取り、ロサンジェルスに住居を移す。1973年10月9日に正式離婚。
離婚後もエルヴィスとプリシラは友人関係にあり、以前よりも密に連絡を取り合うようになったという。エルヴィスがツアーでロサンジェルスにいるときは、彼女の家を訪れたり、なにか事あるごとにプリシラをグレイスランドに呼び寄せたりして精神的にプリシラを頼りにしていた。二人は、リサ・マリーがまだ幼かったこともあって、二人が離婚したことでリサが不幸にならないようにと願っていた。リサとエルヴィスは頻繁に会っていたようだ。彼が死んだその日もリサはグレイスランドにいた。

映画とエルヴィス [編集]

歌手として有名になっていくにつれて映画配給会社数社から出演の依頼が彼のもとに届いた。エルヴィスは大変喜んで、劇場に通いつめ、演技を独学で勉強した。初出演映画にはパーカー大佐がエルヴィスを映画の主演にさせたかったので20世紀FOX配給 Rino Brothers を選んだ。エルヴィスはシリアスな演技派を目指していた為、映画内での歌には興味がないと公言していたが、結局パーカー大佐の要請で4曲も歌う羽目になりタイトルも Love Me Tender に変更されて公開された。エルヴィスは当時のガールフレンドに「映画会社がアホな曲を用意してきたんだよ。せっかくのいいストーリーが台無しになっちゃったよ」と不満を漏らしている。
陸軍入隊前までの1958年までに4作の映画が製作されたがいずれも挿入歌ありの主演映画に終始し、おまけに映画挿入歌を収めたアルバムが好評だったため、当時のショウビジネスの世界に新たなビジネスの形態を作り出した。1960年に陸軍除隊するとパーカー大佐は配給会社数社と長期に渡り出演契約を結んだ為、1969年まで1年に3本のペースで27本もの映画の製作が行われ、活動の拠点をハリウッドに移さざるをえなかった。おおよその映画は制作費を抑えた挿入歌アルバム付きのものが多かったが、G.I. BluesBlue HawaiiViva LasVegas(ラスヴェガス万才)等、話題になったものもある。結局、1956年から1969年まで計31本の映画が公開された中で、エルヴィスが望んだ歌なしの映画は1969年公開の Charro!(殺し屋の烙印)のみであった。
エルヴィスは脚本を叩きつけ、「ふざけるな! ボートバイクに車の選手、全部同じストーリーだ」と激怒し、撮影現場に行かなかったこともあった。
この映画が製作された頃のエルヴィスは1960年代初期と違い、映画への意欲が薄らいでいた時期ではあった(1968年のカムバックを経て、残った契約の消化を急いでいた)が、久しぶりに前向きに臨んだ西部劇で役作りの為にあごひげまではやし撮影された。しかし、エルヴィスの主演映画に対する世間の注目度が低かったこと、脚本の出来もイマイチだったことなどが原因で映画の興行成績は振るわなかった。そういう状況の中、ミュージカル映画の枠を超えていなかったこと、台本の出来の悪さ、また、エルヴィスが力を入れて撮影したシーンがカットされたことなど、エルヴィスの仕事への不満は募っていき、それが歌手としてコンサート活動を再開するきっかけになった。
コンサート活動後も1970年8月のラスベガス公演やリハーサル風景を収めたドキュメンタリー映画 Elvis: That’s the Way It Isエルヴィス・オン・ステージ)や1972年4月のコンサート・ツアーの模様を収めたドキュメンタリー映画 ELVIS On Tour(エルヴィス・オン・ツアー)が製作され、好評だった。それ以降は映画の公開はなかったが、エルヴィスの死去後の1981年には、ほとんどを生前の映像等で構成したライフ・ストーリー的映画 This Is ELVIS が公開された。これらを合わせると、エルヴィスが主演した映画は計34本となる。

グレイスランド(Graceland)
1974年8月19日、ラスベガス公演中のエルヴィスの楽屋をバーブラ・ストライザンドが訪れた。彼女は自らが主演する映画 A Star Is Born(スター誕生)での共演をエルヴィスに依頼し、エルヴィス自身も非常に乗り気だったと伝えられているが、後日パーカー大佐が出演料を理由に断った。
1970年代半ば、エルヴィス自身が起案し出演する空手家が主人公の映画の撮影を行ったが、完成することはなかった。理由の一つとして、エルヴィスの体調が悪くなることが多く空手を続けられる状況ではなくなり、8段だった空手自体をやめてしまったことが挙げられる。ちなみに、空手の後の太り始めた頃からの趣味はラケットボールで、医師からの勧めで始めた。エルヴィスは自宅であるグレイスランドの敷地内に専用コートを建てた。死去する1977年8月16日の早朝も友人たちとプレーし、汗を流した。

出演作品 [編集]

32本の映画出演作(ドキュメンタリーは除いて)全てが主役という驚異的な記録を残している。

コンサート・ツアー [編集]

1969年から過密スケジュールでキャリアを再開する。しかし、それはエルヴィスを完全なワーカホリック状態へと追い込むものであった。死ぬ前の7年間に行ったライヴは1000回以上であり、平均すると1ヶ月におよそ35回のペースだった。

1960年代後半よりネバダ州ラスベガスを中心にショーを行うようになっていた。
エルヴィスのコンサートは時代を経て、大規模なものになっていった。1950年代はエルヴィスのヴォーカルにギター、ベース、ドラムスの一つのグループのような編成でロックンロール色を前面に出す構成だったが、瞬間最高視聴率約72%を記録した1968年のNBC-TVスペシャル以後、翌年にラスベガスのステージで歌手復帰してからは、ロックンロール以外にもレパートリーの幅を拡げ、ゴスペルやスタンダート・ナンバー等を取り入れた娯楽性を前面に出す構成に移行していった。バック・ミュージシャンもコーラス・グループやピアノ等が新たに加わり、オーケストラまで揃えた多人数の団体に膨れ上がった。
また、ラスヴェガスのステージ編成をそのまま地方公演に取り入れた。コンサート活動再開後、最後にコンサートを行った1977年6月26日インディアナポリス公演までチケットは売り切れ状態が続いた。1977年8月17日から始まる予定だったツアーも最終日の8月27日のメンフィス公演まで売り切れ、翌28日に同地で追加公演を行う予定だった。

アロハ・フロム・ハワイ [編集]

1973年1月14日ハワイ州ホノルルで行われたコンサート。全世界36ヶ国、15億人以上に視聴され、コンサートで初めて衛星生中継された。
ハワイの現地時間の午前0時に始まった。これは日本のゴールデン・タイム(午後7時)にあわせたものである。放送は約2時間続いた。このコンサートの目的は、「クイ・リー癌基金」のためのチャリティー・コンサートである

死と埋葬 [編集]


エルヴィスの墓
1977年8月16日にテネシー州メンフィスの自宅、グレイスランドで死去した。ガールフレンドのジンジャー・アルデンによって寝室のバスルームの床に倒れているところを発見され、バプテスト記念病院へ搬送されたが、医師は午後3:30に死亡を確認した。42歳没であった。検死後、死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された。
晩年、エルヴィスはストレスからくる過食症に陥ったことが原因で体重が激増したことに加え、75年くらいからは処方された睡眠薬などを「誤った使い方」で服用していた。「処方ドラッグをやっていた」とグレン・D・ハーディンなどのメンバー、さらにデル・“ソニー”・ウェストなどのメンフィス・マフィアのメンバーたちも語っている。
グレンは詳しいことは死ぬまで語るつもりはないといっているが、ソニー・ウェストは暴露本を書いて中傷した。違法なドラッグは一切使用していないが、この処方ドラッグの影響で癇癪持ちになり、体調も維持できなくなってしまった。
当初はメンフィスのフォレスト・ヒル墓地で母親の隣に埋葬されたが、遺体の盗掘未遂事件後に、母親と共にグレイスランドに再埋葬された。グレイスランドには、エルヴィスの様々な遺品やピンクや緑に塗られたキャディラック、愛娘の名前をつけた自家用機、コンベア880型「リサ・マリー号」などが展示されており、現在も世界中からファンや観光客が訪れている。

世界に与えた影響 [編集]

ヨーロッパにおいて、ロックンロールという新しい音楽への興味を生じさせた。エルヴィスのロックンロールを聴いて歌手を目指した人としてジョン・レノンらがいる。冷戦下で、エルヴィスはヨーロッパ進出を考えていたアメリカのミュージシャンの先駆者になった。
世界中のティーンエイジャーはエルヴィスの「ダックテール」と呼ばれる横髪を後ろへなで付けるヘアスタイルをこぞって真似し始めた。そして、黒いズボンや緩い開襟シャツといった彼のニュールックは、ファッションの新たな潮流を作り、その大きな需要を生み出した。エルヴィスの影響は、経済大国における大量消費を行う最初のティーンエイジャー世代を生み出した。エルヴィス・プレスリーを慕うミュージシャンに、ドイツオペラ歌手ペーター・ホフマンらがいる。
1977年カーター大統領は「エルヴィス・プレスリーの死は、我が国から大事な一部分を奪いとったようなものだ。彼の音楽とその個性は白人の国家と、黒人特有のリズムブルースのスタイルを融合させ、永久にアメリカの大衆文化の様相を変えてしまった。彼は、祖国アメリカの活力、自由、気質を世界の人々に植え付けるシンボルだった。」と語った。ジェームズ・ブラウンは「彼は白人のアメリカ人に目線を下げるということを教えた」という言葉を書き残している。
アメリカ内務省長官のゲイル・ノートン2006年3月27日、エルヴィスが約20年間を過ごした、テネシー州メンフィスの邸宅「グレイスランド」を国の国定史跡に認定した。認定の式典は一般公開で行われ、娘であるリサ・マリー・プレスリーも出席した。

死後 [編集]

エルヴィスの急死後、その肖像権は非常に危うい位置にあった。エルヴィスはステージ以外の事は人任せであった。肖像権は一応管理はされていたのだが杜撰だったため、金儲けの道具とされ、エルヴィスのイメージを損なうものであっても簡単に商品化できた。死去後まもなくして遺族らが膨大なエルヴィスの物的財産を管理する組織を結成、肖像権も管理しようと訴訟を起こした(当時、亡くなった人々の肖像権の取り扱いは帰属等がはっきりしていなかった)。遺族らは勝訴し、肖像権を手に入れ、以後今日までしっかりと管理されている。
肖像権が管理できるようになって、「エルヴィス・プレスリー」という名を使い現在まで様々なプロジェクトを世界に向かって発信してきた。エルヴィスのキャリアはサン・レコードからデビューした1954年から死去する1977年である。本業の歌の部門では、数多くの未発表テイクが発掘されている。
最近の話題だと新編集された曲が2002年のFIFAワールドカップの公式テーマソングになったり、未発表映像も発掘され、1968年のTVスペシャルや1973年のアロハ・フロム・ハワイのアウトテイクを収録した完全版がリリースされ好評だった。その他、側近や友人、家族らが語るエルヴィスの人物像に焦点をあてた物や、エルヴィスのゴスペルに対する思いを映像化した物もある。

エルヴィスの物まねタレント
それ以外にもエルヴィスをモチーフにした映画の製作や彼の曲が数多くの映画の挿入歌に使用される事も多い。エルヴィスに因んだセリフも数多くの映画の中で聞くことが出来る。ブロードウェイのミュージカルにも取り上げられる等、そのような話題はとどまる事を知らない。エルヴィスの記録であるナンバー1ヒット曲数18曲が、マライア・キャリーによって近年追いつかれた。
エルヴィスの物まね、または成りきる(演じる)事を生業とする人々が世界に存在し、その数は数百人と言われている。また、エルヴィスを尊敬するアーティストも多く、そのようなアーティスト達が一堂に会したトリビュート・コンサートが実現した。
更に1997年には新たなる試みとして、エルヴィスのコンサート映像を使用し、それにあわせて当時のバンド・メンバーが演奏する ELVIS THE CONCERT(エルヴィス・ザ・コンサート)」(現 ELVIS PRESLEY IN CONCERT(エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート))のメンフィス公演が行われ、以後全米各地のほか、ほぼ年に1回のペースでアメリカ以外の地域でツアーを行っている。
死後、エルヴィスの生存説、目撃情報などが相次いで報告された。年をとったエルヴィスを見たという証言がある一方、若い頃そのままのエルヴィスを見たという証言もある。エルヴィスが生きているという確実な証拠には300万ドル(約3億4000万円)が支払われる。またエルヴィスの生存説を、生前エルヴィスと会ったことのあるジョン・レノンが生前語ったことがある。ジョンによると、「死んだはずのエルヴィスと電話で喋った」というが、ジョンは麻薬の所持で逮捕されたこともある程の麻薬使用者のため、これを本気にするものはいなかった。

映画・メディア作品の中のエルヴィス [編集]

  • 映画『フォレスト・ガンプ』 - 無名時代のエルヴィスがガンプの家に泊まり、背骨の固定装置を足に着けたガンプの動きにヒントを得て独自のステージパフォーマンスを編み出すというくだりがある。また、劇中でフォレストの母親が「子どもの見るものではない」と当時のエルヴィスに対する親の考えが表されている。
  • 映画『ミステリー・トレイン』(ジム・ジャームッシュ) - エルヴィスのゆかりの地としてメンフィスを訪れる若い日本人観光客のカップルのエピソードが含まれている。女の子のミツコはエルヴィスに心酔している。エルヴィスの亡霊が登場したり、ラジオからエルヴィスの曲が流れたりもする。
  • 映画『スコーピオン』 - 主人公ら5人の強盗グループがラスベガスで開催されているエルヴィス・プレスリーそっくりさんコンテストの会場にジャンプスーツ姿で現れ、騒ぎに乗じて金を盗み出す場面がある。
  • 映画『ババ・ホ=テップ』(2006)(Bubba Ho-Tep)(邦題「プレスリーVSミイラ男」) の主人公はブルース・キャンベルが演ずるエルヴィス。エルヴィスは現在も、人知れず南部のとある老人ホームで余生を送っており、1977年に亡くなったのは実はそっくりさんだったという設定。
  • 映画『ハートブレイク・ホテル』(1988年、クリス・コロンバス監督、デヴィット・キース、チューズデイ・ウェルド、チャーリー・シュラッター)、映画『グレイスランド』(1998年米、デヴィッド・ウィンクラー監督、ハーベイ・カイテル)など、プレスリーに対するオマージュを描いた映画作品は多数ある。
  • 映画『フルハウス』 - 大のエルヴィス・ファンであるジェシー・カツォポリス (Jesse Katsopolis) が主役。作品の随所にエルヴィス関連のネタが登場する。1度だがラスベガスへ行ったときには「ラスベガス万才」と同じ空撮の映像にジョン・ステイモスが歌った「Viva Las Vegas」が流れる。また、まだ母体の中に居る段階の子供に生まれるまでずっとエルヴィスの曲を聞かせようとしたり、子供部屋の装飾を全てエルヴィスグッズにしようとするエピソードもあった(結果的には未遂に終わるが)。また初期はエルヴィスを模した髪形をしていた。
  • TVシリーズ『俺がハマーだ!』- プレスリー似た者コンテストの優勝者が次々と撲殺される事件が起き、おとり捜査のために主人公ハマー刑事がコンテストに出場するエピソードがある。
  • ジャック・ウォマックの小説 Ambient や Elvissey(ともに未訳)で描かれる近未来世界では、エルヴィスの復活を信じるE教会(the Chirch of E)という宗教が登場する。Elvissey では、E教会の信者たちが、エルヴィスのそっくりさんファッションに身を固めて、Elcon という集会を開催するシーンがある。
  • 映画『メン・イン・ブラック』 - トミ・リー・ジョーンズ扮するKが車内でエルヴィスの歌をかけるシーンで相棒のJ(ウィル・スミス)が「彼はすでに故人だ」と言う意味のセリフを言うと「エルヴィスは死んでない、星に帰ったのさ」と返すシーンがある。同映画では他にも宇宙から来て地球人のフリをしている宇宙人として何人もの著名人がいる

豆知識 [編集]

パーカー大佐 [編集]

  • エルヴィスは終生アメリカ、カナダ以外でコンサートを行っていない。(海外での公演を許さなかった理由は、移民であるパーカー大佐がアメリカの永住権を所持しておらず、カナダを例外としてアメリカ国外へいったん出国すると再入国を許されない事態を恐れた為だったと言われている。なお、パーカー大佐の出身国に残してきた家族がエルヴィスに付き添う姿をテレビで見て仰天したという逸話が残されている。)








    • その為、パーカー大佐は世界の公演希望に応えるため、衛星中継という方法で、ナマのエルヴィスを世界へ送った。日本のゴールデンタイムにあわせて?ハワイ時間深夜1時からコンサートを開始した。また、チャリティ・ショーだった為、エルヴィスをはじめバンド・メンバーはノーギャラでコンサートを行った。この公演の収入は全て、クイ・リー癌基金へ寄付された。この公演のチケットには値段が付いておらず、客が献金したい分だけ払えば、購入することが出来た。6000席の会場で7万5000ドル集まったわけだから、1人あたり12ドル50セント支払った計算になる。
  • 「アロハ・フロム・ハワイ」の記者会見でパーカー大佐は1000ドルを寄付(チケット購入)した。
  • エルヴィスはパーカー大佐に対する不満をメンバーたちに漏らしていた。しかし、エルヴィスはパーカー大佐をクビにすることはなかった。
  • 離婚の財産分与の資金捻出のためという名目でパーカー大佐はエルヴィスの楽曲の権利をRCAへ売り渡した。これは将来的に見ても大損な取引だったが、パーカー大佐自身がギャンブルで大損を出していたため、手っ取り早く大金を得るためにエルヴィスに伝えないで独断で売った。








    • 離婚に必要な資金は175万ドルでエルヴィスならすぐに回収できるであろう金額だった。
    • エルヴィスがお金がなくなっていったのはこの権利で手に入る印税を受け取れなかったことが関係している。
    • エルヴィス関係者からは「悪名高き73年の取引」といわれている。

楽曲のエピソード [編集]

  • 公式リリース音源の数は800曲を超える。
  • 「エルヴィス・オン・ステージ」の冒頭で見られる観客は1970年8月の公演のものではない。冒頭の観客の映像は8月にラスヴェガスの行われたホテルでのショウのものではなく、9月にフェニックスで行われたショウである。
  • 1970年8月12日のミッドナイト・ショーでエルヴィスはレイを貰ったが、すぐに切られてしまい「誰か僕のレイを切っちゃった」とMCしていた。
  • 「監獄ロック」(楽曲)は曲のスピードがオリジナルテイク(収録したそのままの状態)から半音分落ちている。これはレコード/CDで発売されている曲と「クローズアップ・エルヴィス」を聞き比べれば簡単に認識できる。
  • 「監獄ロック」のダンスシーンの撮影中、エルヴィスの歯に被せてあった銀歯が取れ、誤って飲み込んでしまう事故が起きた。銀歯は胃に行かずに肺へ行ったため、肺から銀歯を取り出す大手術を受けた。幸い、彼自身にも喉にも影響はなかった。
  • エルヴィスはストロークが強いため、ギターの弦をよく切っていた。また、サウンドホール上部は傷だらけになってしまっている(下部はピックガードが付いている)。
  • 「今夜はひとりかい?」のレコーディングの際、エルヴィスは雰囲気を出すためにライトを消して収録した。その為かラストで、譜面台に頭をぶつける音が入っている。
  • 「ハウンド・ドッグ」を歌う際には、「僕はまだほんのガキでした」とMCするのがお約束。
  • ロックン・ロール、リズム&ブルース、ゴスペル・ミュージックの3部門のいずれも殿堂入りした初のアーティストとなった。また、今のところ3度グラミー賞を受賞しているが、3度ともロック部門ではなくゴスペル部門においての受賞であり、エルヴィスは終生この事を誇りにした。

性格、嗜好 [編集]


リチャード・ニクソン 大統領とエルヴィス・プレスリー(1970年)
  • 警察官等のバッジ・コレクションをしており、大変な収集家であった。関係者以外が警察バッジを持つことは許されていない。つまりエルヴィスは警察やその他の機関の資格を取得していた。麻薬の不法所持者を逮捕するために飛行機を止めたり、エルヴィスのバッグを盗んだ男を逮捕したりしている。
  • 1970年12月21日にはわざわざワシントンD.C.にジェリー・シリングと2人で出向き、シークレット・サービスに手紙を手渡した。一市民であるエルヴィスから大統領にあてた手紙である。その40分後、補佐官から「大統領が会いたい」と電話があった。ホテルに到着したソニー・ウェストが合流し3人でホワイトハウスへ行き、リチャード・ニクソン大統領に会った。右のツーショット写真はその際撮影されたものである。この時エルヴィスは、麻薬撲滅に熱心であったニクソン大統領に対して、「ロックが麻薬使用に影響しているとは思わないが、責任は感じている」といい、麻薬取締官の資格を与えられた。翌週、エルヴィスはそのバッジをみんなに見せびらかせて回った。
  • 酒も煙草もやらない。たまに葉巻を吸う程度である。「オン・ステージ」で観客から酒を渡された時も、口を付けるだけでほとんど飲んでいない。ステージ上で飲んでいるものは水かゲータレードである。
  • コーヒーや炭酸飲料、ピーナッツバターとバナナのサンドイッチが大好きで、毎日の様に食していた。ただし、このサンドイッチはさらに多量のバターをひいたフライパンで焼いた物であり、当然ながら高カロリーな食べ物で、エルヴィスが三十代以降体調を崩し、肥満化していった一因になったのではないかという指摘もある。
  • 1970年代のエルヴィスは真っ白なジャンプスーツが思い出されるが、それ以外にも紺や青、水色、赤などのジャンプスーツも着ている。
  • 1970年初期のジャンプスーツは動きやすさを念頭に置いたシンプルな衣装であった。それがどんどん派手になっていき、ケープまで登場した。金やダイヤモンドやルビーなどを施したジャンプスーツは25kg以上にもなっていた。
  • エルヴィスは友達だと思った人間には尽くすタイプだった。反対に「エルヴィスのお金や贈り物を求めて近付いてくる人間には、その姿勢に気付き距離を置いていたようである」とバンド・メンバーは回想している。
  • ステージでの華やかさからは気付きにくいが、エルヴィスはシャイでテレ屋な性格であった[要出典]。レコード会社の門を叩けずに、入り口付近でウロウロ、ソワソワしていたこともあったようだ。「初舞台の時には死ぬほど緊張した。観客の声が怖かったんだ。」との言葉も残っている。
  • エルヴィスはまるで日課のように多方面、数え切れないほどの多くの団体に寄付した。殆どが非公式や匿名で行われたものだった為、はっきりと把握出来ていない。ホノルルのパール・ハーバーにある「アリゾナ記念館」はエルヴィスが1961年に行ったチャリティ・ショーによって建てられたものである。エルヴィスによると「1日100万ドル使い続けても使い切れない」そうだ。友人には車や宝石を頻繁にプレゼントした。
  • エルヴィスはジェームズ・ディーンの大ファンである。ディーンの代表作理由なき反抗の台詞を全て覚え、周りを驚かしたこともある。彼が俳優を目指した一因でもある。ちなみにエルヴィスの代表作闇に響く声は、ディーンのために書かれた作品であった。評論家たちはこの作品を、エルヴィスの映画の中で最良の演技をしたと言った。
メンバー
  • 70年代のエルヴィスのバックバンドを勤めたベースのジェリー・シェフはエルヴィスから要請が来た時、最初は断るつもりで対面した。ジェリーはブルース以外の音楽には興味がなかったからだ。その場のセッションでエルヴィスがブルースをいじり始め、ジェリーはその歌い方に感銘を受け、バンドに参加する決心をしたという。しかし、ジェリーが本当に心を魅せられたのはエルヴィスの温かい人柄であったという。雑用スタッフも決して邪険にせず、この曲は嫌いなどということも無かったという。
  • エルヴィスはジェリー・シェフにブルースのソロを振った際、ジェリーはブルース以外の曲も演ろうと思い(公演で何度もブルースは弾いてきたので)アドリブでケイジャンを弾いた。それ以降、メンバー紹介の際には「フェンダーベースのジェリー・シェフです。今夜は何を演ってくれるのでしょう?」とMCするようになった。
  • ピアノのグレン・ハーデンはエルヴィスがリハーサルしていない曲をソロで振ってくることがあったため、それ以来、エルヴィスにソロを要求されると思われる曲を練習していたという。
  • エルヴィス復帰後のショーでリズムギターを勤めていたジョン・ウィルキンソンは元々は歌手であった。エルヴィスは休憩時間などにジョンに歌ってもらい、リラックスしていたようである。1990年代に左半身不随になり、2度とギターは弾けなくなってしまった。
  • エルヴィスの友人で警備担当であるケネディ警部補が同じく警官であった弟を亡くした時、エルヴィスは葬儀の資金を全額負担し、バックコーラスであったJ.D.サムナー&スタンプス・カルテットにゴスペルを歌わせた。葬儀の際に野次馬で式が邪魔されるのを避けるため、エルヴィスは警官の制服を着用し、他の参列した警官と共に式に出席した。
  • スコティ・ムーアは「エルヴィスの葬儀は見世物ショーになるだろう」と感じ、式に出席しなかった。
  • 1970年代、エルヴィスがツアーをはじめた時、ツアー先の白人プロモーターから「黒人娘(「ザ・スウィート・インスピレーションズ」のことを言った。実際にはもっとひどい差別的な言い方をされた)は連れてこないでくれ」と連絡を受けたことが度々あった。エルヴィスは「彼女たちを来させないなら僕も行かない」と言い張り、向こうが謝罪し、多額のお金を積んだが、絶対に行かなかった。
  • ライヴ中、ある観客が「あなたはキングよ!」と叫んだことがあった。そのときエルヴィスは「いや、キングはイエス・キリストだ」と答えた。
  • 「古今東西、ファースト・ネームだけで世界中で通じる男は2人しかいない。イエスとエルヴィス」という有名な言葉がある。

その他 [編集]


元自家用機のコンベア880「リサ・マリー」
  • 日本の小泉純一郎元首相が大ファンであり、エルヴィスと誕生日が同じである。ブッシュ大統領と共にグレイスランドを訪ねた。このとき小泉は、ブッシュらの前で遺族から借りたサングラスをはめてエア・ギターをしながら、「グローリー グローリー ハレルーヤー」と唄った。これは、小泉がエルヴィスのファンであることを示そうと、リパブリック讃歌を曲の一節に取り入れたエルヴィスの代表曲「An American Trilogy(邦題:アメリカの祈り)」を自らの判断で披露したものであるが、小泉の予期せぬ行動はブッシュらから失笑を買ってしまう。その様子は、当日の日米両国のニュースで「小泉の奇行」として紹介された。
  • 現在グレイスランドには元自家用機のコンベア880「リサ・マリー」(機体記号N880EP)が展示されているが、世界でも数機しかないコンベア880の現存機の内の1つでもある。この機体は1975年デルタ航空(当時の機体記号はN8809E)から購入したもので、没後の1979年に登録抹消されている。
  • メンフィスのグレイスランドの前の通りはエルヴィス・プレスリー・ブールバード(大通り)という。
  • 世界中のエルヴィスのファン、ファンクラブからの募金のみで運営している病院がある。その病院はメンフィスにあるセイント・パウロ・エルヴィス・プレスリー記念病院である。
  • エルヴィス・プレスリー・エンタープライズは映画やテレビでエルヴィスが間違った認識で扱われること、ある一面だけを大きく取り上げられることにピリピリきている。そのため、エルヴィスを好意的に捉える映画やテレビには積極的に協力し、使用料も比較的安くしてもらえる。
  • 1965年8月27日に、ロサンゼルス市のエルヴィスの邸宅でエルヴィスとビートルズは一度きりの会見を果たす。ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインとエルヴィスのアシスタントであるパーカー大佐の間での極秘の打ち合わせという名目だったが、案の定自宅周辺には野次馬が集まった。対面の場では、登場したエルヴィスの姿に見惚れしたメンバーに対し、即興演奏が始まった。エルヴィスは習いたてのベースを演奏し、ジョンとジョージはギター、ポールはピアノを演奏した。リンゴはドラムキットが無かったため演奏してはいない。エルヴィスは彼らの曲も歌い、「君たちのレコードは全部持っているよ」と言った。これに対してジョン・レノンは「僕はあなたのレコードは1枚も持っていない」と発言したことからその場が凍りついた。そしてその会見に実際に立ち会ったという、記者のクリス・ハッチンスによれば、ジョンは当時アメリカ軍による関与が拡大を続けていたベトナム戦争にエルヴィスが賛同する姿勢と、エルヴィスのマンネリ気味であった映画を痛烈に批判したということらしい。エルヴィスがジョンを嫌うようになったのはこれらの事がきっかけであった(ジョンは以前もアメリカに公演に来た際、エルヴィスを馬鹿にするような行動をとった)。エルヴィスはジョンがアメリカに住むようになり、「反戦活動」という名目で反米活動を盛んに行った頃、ニクソン大統領に「ジョンを追放してほしい」と手紙を出したとも言われている。そしてなにより惜しい事は、当時音楽界に於いて最も注目すべきこの会見を録音したテープが存在しないことである。
  • モハメド・アリと交流があり、彼に金色のマントを送ったが、それを初めて着用して登場した試合で敗れたので、以後2度と着用することはなかったが、アリはそれを大事にした。アリは金色のマントをもらったので、お返しにエルヴィスに金色のアリのサイン入りグローヴを送った。エルヴィスもこれを大事にした。部屋に篭りがちだったエルヴィスに、アリが「外に出てファンと交流した方がいい」とアドバイスした所、エルヴィスは「もみくちゃにされるから外に出られない」と答えたという。ファンサービスが大好きだったアリは後年「エルヴィスは解っていなかった。ファンは誰もエルヴィスに危害を加える気は無かったんだ」と語っていた。だが実際はメンフィス・マフィアがエルヴィスとファンの間に壁を作り、エルヴィスをホテルの最上階に閉じ込めて、窓ガラスに銀紙を貼り、隔離していた。エルヴィスが死に、自身も引退した後、アリは親友のカメラマンに「俺が通りを歩いてて、向こうの通りをエルヴィスが歩いてたら、人はどっちに注目すると思う」と訊ね、カメラマンが「難しいな。外国じゃあんただが、国内(アメリカ)じゃエルヴィスじゃないかな」と答えた。するとアリは「そうだろうな。エルヴィスは大分前に死んだから、人は彼が本物かどうか確かめようとするだろうな」と語ったという。
  • F1チームのB・A・Rの元オーナーのクレイグ・ポロックがかなり古いハーレー・ダビッドソンを約60万円で購入したところ、すぐ故障したので修理に出しシートを開けたらシートの裏に“親愛なるジェームズ・ディーンへ、エルビス・プレスリー”と書かれており、プレスリーからジェームズ・ディーンへプレゼントされたものとわかった為オークションに出展したところ、およそ1億2千万円の値がついた。

記録 [編集]

エルヴィスの記録には限りがないが、代表的なものや、興味深いものを挙げる。

ギネス・ワールド・レコーズ [編集]

  • 世界で最も成功したソロ・アーティスト
  • 全米No.1シングル18曲(歴代2位)/全英18曲(歴代1位)
  • 最多ゴールド、プラチナ、マルチ・プラチナレコード獲得数:140タイトル
  • 全米No.1アルバム9作/全英6作
  • 全米チャート入りレコード149作/全英98作
  • シングル発売133枚
  • 最も長時間No.1にエントリーしたアーティスト(80週)
  • 最も長期に渡ってNo.1アルバムをチャートに送り込んだアーティスト(1956~2002年)初のNo.1アルバム「エルヴィス・プレスリー登場!(1956)」から「ELVIS(2002年)」まで。
  • 最多ヒットシングル記録(151曲)ビルボードtop100へのエントリー回数151回は最多。
  • 1日で最もレコードを売ったアーティスト(エルヴィス・プレスリー/死の翌日、1977年8月17日) 2,000万枚以上の売り上げ。彼の死の衝撃が物語れる。
  • 世界に最もファンクラブが多いアーティスト(エルヴィス・プレスリー)世界で(死後にも関わらず)480のファンクラブが現在活動中である。
  • 世界で最も訪問される墓(グレイスランド) エルヴィスの墓であるグレイスランドは、年間約70万人が訪れる墓。死後18年にあたる1995年には、歴代最多の753,965人が訪れた。アメリカの国定史跡。

統計、評論家などによる投票 [編集]

ロックの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米1986年)
1986年、アメリカで始まったロックの殿堂は、ロック史上優れたアーティストやプロデューサーを登録している。エルヴィスは第1回目で選ばれた。
UKミュージック・ホール・オブ・フェイム(エルヴィス・プレスリー/英2004年)
2004年、イギリスで始まった、UKミュージック・ホール・オブ・フェイム(音楽の殿堂)は、音楽史上優れたアーティストやプロデューサーを登録している。エルヴィスは第1回目で選ばれた。2007年、この殿堂は資金不足のため、廃止された。
カントリーの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米1998年)
1998年、カントリー・ミュージック教会により、カントリーの殿堂入りを果たした。伝統的な同教会が認めたことは、エルヴィスの音楽の真価を証明するものだった。9月23日、テネシー州ナッシュビルグランド・オール・オープリー・ハウスで授賞式が行なわれた。
ゴスペルの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米2001年)
2001年、ゴスペル・ミュージック教会により、ゴスペルの殿堂入りを果たした。11月27日に、テネシー州、フランクリンのピープルズ・チャーチで授賞式が行われた。ちなみにロックとカントリー、ゴスペルの3つの殿堂入りを果たしたのは、歴史上エルヴィスただ1人である。
世界の音楽を最も変えた曲(エルヴィス・プレスリー/That's All Right)
英国の雑誌『Q』によって発表。 音楽のジャーナリスト達の投票により決定。エルヴィスの音楽の始まりであり、ロックの原点とも言われる曲「ザッツ・オール・ライト」が、「音楽と世界を永遠に変えた革新的な100曲」の第1位に選ばれた。2位はビートルズの「I Wanna Hold Your Hand」。
死後、最も売り上げが多いアーティスト(エルヴィス・プレスリー)
経済誌「Forbes」により毎年(10月下旬)発表。 死んだ著名人の1年度の売り上げを順位付けしたものである。2001年から発表が始まり、エルヴィスは2005年まで5年連続1位に輝いた。2006年は、カート・コバーンの著作権が売却されたことにより2位になったが、翌2007年には4900万ドル(約56億円)で再び首位を奪回し、2008年度も5200万ドル(約51億円)で1位になった。毎年大体50億~60億あたりの売り上げを誇っている。
イギリスで最もヒットしたアーティスト(エルヴィス・プレスリー)
「The Book Of British Hit Singles & Albums」が発表。エルヴィスが「英国で1番売れたアーティスト・トップ100リスト」の第1位になった。1952年からのチャート・イン週間数の総計を基準としたものである。毎年発表される。上位にはクイーンクリフ・リチャードらがいる。

雑誌や一般による投票 [編集]

ロック史上最高の服装(エルヴィス・プレスリー/白いジャンプ・スーツ)
約1万2千人の音楽ファンによって投票。 「最高のロック・アウトフィットtop10」での投票で、エルヴィスの「白いジャンプ・スーツ」が、ロック史上最高の服装として歴代第1位に選ばれた。2位は、カイリー・ミノーグの「ゴールドのホット・パンツ」。
最もサインに価値があるロック・ミュージシャン(エルヴィス・プレスリー)
カリフォルニア州のサイン専門誌「Autograph Magazine」により発表。最もサインに価値のあるロック・ミュージシャン第1位に、エルヴィスが選ばれた。2位はビートルズのポール・マッカートニー

アルバムディスコグラフィー [編集]

オリジナルアルバム [編集]

発売年アルバムタイトル最高位RIAA
US CountryUSUK
1956エルヴィス・プレスリー登場! (Elvis Presley)11Gold
エルヴィス (Elvis)13Gold
1957プレスリーのクリスマスアルバム (Elvis' Christmas Album)123× Multi-Platinum
1960エルヴィス・イズ・バック (Elvis Is Back!)21Gold
心のふるさと (His Hand in Mine)7133Platinum
1961歌の贈り物 (Something for Everybody)12Gold
1962ポット・ラック (Pot Luck)41
1967ゴールデン・ヒム (How Great Thou Art)718112× Multi-Platinum
1969エルヴィス・イン・メンフィス (From Elvis in Memphis)2131Gold
1970バック・イン・メンフィス (Back in Memphis)
1971エルヴィス・カントリー (Elvis Country (I'm 10,000 Years Old))6126Gold
ラブレター・フロム・エルヴィス (Love Letters from Elvis)12337
初めてのクリスマス (Elvis Sings The Wonderful World of Christmas)133× Multi-Platinum
1972エルヴィス・ナウ (Elvis Now)454312Gold
至上の愛 (He Touched Me)327938Platinum
1973フール (Elvis ("Fool" album))85216
ロックン・ロール魂 (Raised on Rock/For Ol' Times Sake)50
1974グッド・タイムス (Good Times)59042
1975約束の地 (Promised Land)14721
エルヴィス・トゥデイ (Today)45748
1976メンフィスより愛をこめて (From Elvis Presley Boulevard, Memphis, Tennessee)14129Gold
1977ムーディ・ブルー (Moody Blue)1332× Multi-Platinum

ライブアルバム [編集]

発売年アルバムタイトル最高位RIAA
US CountryUS
1968エルヴィスNBC TVスペシャル (Elvis NBC-TV Special)8Platinum
1970エルヴィス・オン・ステージVol.1 (That's the Way It Is)821Gold
エルヴィス・オン・ステージVol.2 (On Stage: February 1970)1313Platinum
エルヴィス・オン・ステージVol.3 (Elvis in Person at the International Hotel)Gold
1972エルヴィス・イン・ニューヨーク (Elvis: As Recorded At Madison Square Garden)22113× Multi-Platinum
1973エルヴィス・イン・ハワイ (Aloha From Hawaii: Via Satellite)115× Multi-Platinum
1974ライヴ・イン・メンフィス (Elvis: As Recorded Live On Stage In Memphis)233Gold
1977エルヴィス・イン・コンサート′77 (Elvis in Concert)153× Multi-Platinum
1997アフタヌーン・イン・ザ・ガーデン (An Afternoon in the Garden)
1998タイガーマン NBC・ライヴ 1968 (Tiger Man)
メモリーズ 68 カムバック・スペシャル (Memories: The '68 Comeback Special)
2001エルヴィス・ライヴ・イン・ラスヴェガス (Live In Las Vegas)
2007VIVA LAS VEGAS グレイテスト・ラスヴェガス・パフォーマンス (Elvis: Viva Las Vegas)54
200868カムバック・スペシャル・ボックス 40周年記念エディション (The Complete ’68 Comeback Special: 40th Anniversary Edition)

日本語文献 [編集]

※近年刊行の一部。
  • ピーター・グラルニック 『エルヴィス伝 復活後の軌跡 1958-1977』 三井徹訳  みすず書房、2007年 大著
  • アルフレッド・ワートハイマー撮影・文 『エルヴィス・プレスリー 21歳の肖像』 夏目大訳 青志社 2007年 大著の写真集
  • 『SCREEN特別編集 エルヴィス・プレスリーの伝説』  近代映画社 2005年
  • 『文藝別冊 エルヴィス・プレスリー』  <KAWADE夢ムック>河出書房新社 2003年
  • ボビー・アン・メイソン 『エルヴィス・プレスリー』 外岡尚美訳<ペンギン評伝双書>岩波書店 2005年
  • 前田絢子 『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』 角川選書 2007年

家族 [編集]

参考 [編集]

  1. ^ http://www.elvispresleynews.com/JewishElvis.html

関連項目 [編集]

ウィキメディア・コモンズ

外部リンク [編集]




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【私のコメント】:


 世界のトップレベルのMUSICEANであった。人々から慕われた人であった。今でも、懐かしい。



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