ノアの箱舟を創ろう Let us Create the Super Ocean-Floating-Structures such as the Noah's ark.

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Tuesday, April 13, 2010

【現状はすでに「暴落なき暴落」:浜 矩子(同志社大学教授)】:いま、そこにある危機


【現状はすでに「暴落なき暴落」:浜 矩子(同志社大学教授)】:いま、そこにある危機
http://www.asyura2.com/10/senkyo84/msg/364.html
投稿者 matuoka yuuji 日時 2010 年 4 月 13 日 21:02:48: noT716RWWrvIk

【出展・引用リンク】: 

現状はすでに「暴落なき暴落」:浜 矩子(同志社大学教授)
2010年3月13日(土)13:00
いま、そこにある危機
「いま、そこにある危機」。映画がお好きな向きには、おなじみのフレーズだろう。麻薬組織とCIAの攻防を描いた大型アクション作品のタイトルである。主役のCIA幹部をハリソン・フォードが演じた。
今回のテーマについて考え始めたら、たちどころにこの一文が頭に浮かんだ。日本国債をめぐる危機は、いま、まさしくそこにある。
もっとも、いま、そこに危機はないという説もある。国債暴落懸念は杞憂で、いまこそ、財政出動が大いに必要なのだという考え方である。こんなときに、財政赤字のことを気にして政策の腰が引けているようでは、埒が明かない。そんなことでは、いつまでたっても経済成長は戻ってこない。積極的な財政スペンディングが待望される。このような主張は少なくない。
この主張に対して、筆者は半ば同感、半ば反対である。同感できるのは、いまが財政出動を要する場面だという点についてである。この指摘はもっともだ。オーソドックスな政策論である。言い換えれば、民間経済が十分に需要を生み出しえていないとき、その空白を埋める役割を財政が果たすのは、至って当たり前のことだ。その限りでは、財政出動論はオーソドックスというよりは、むしろ、たんに自明のことをいっているにすぎない。
ただし、需要の穴埋めのために財政が何をするかという点については、大いに議論の余地がある。公共事業なのか。補助金型の分配政策なのか。はたまた減税なのか。
政策選択に関しては、現状の正確な読みと的確な対応をマッチングさせる力量が問われる。この観点からいえば、いまの時点でひたすら成長狙いの政策対応に走ることには、疑問がある。成長戦略さえあれば、すべての問題が解決するがごとき言い方は、方向感覚がずれている。何よりも、そもそも事実誤認であると思う。
ただ、この話題に突っ込んでいくことは、本稿に与えられたテーマから少々外れる。政策選択の問題と借金財政の許容限度問題とは、むろん無関係ではない。だが、それを論じることが今回の直接的な課題ではない。したがって、この問題はひとまずさて置くとしよう。
そこで、問題は「いまそこに危機はない」説の「国債暴落懸念は杞憂だ」という考え方である。これには、どうも同意できない。
杞憂派の論拠はさまざまあるようだが、概ね、次の3点に集約されていると考えてよさそうである。第一に、そもそも日本国の借金負担は、じつをいえば、巷間いわれているほど大きくはない。第二に、日本の国債はその大半が日本人によって保有されているから、心配はない。第三に、日本には1500兆円の個人金融資産があるから、政府部門が赤字でも、それを吸収して余りある経済的余力がある。それぞれについて、考えてみよう。
まず、第一点の日本国の借金の規模の問題については、たしかに、債務残高の総額と純額を区別して考える必要がある。これは間違いない。総額ベースでみれば、日本の公的債務残高は突出して大きい。測り方いかんで、GDP比180%あるいは190%超というとてつもない数字に達する。だが、これはあくまでも借金の側だけを見たときの話だ。債務があれば債権もある。債権側を考慮して、純債務ベースでみれば、債務残高の数値は直近で対GDP比概ね100%だというのが、OECD(経済協力開発機構)の算出結果である。
こうしてみれば、たしかに債務残高の実質的規模は一般に考えられているほどは大きくない。だが、それで安心していていいのか。そもそも、純債務ベースで見ても、なお、GDPとほぼ同規模の借金があるということをどう見るか。ちなみに、この概念で見て日本と同程度の債務状況にあるのが、イタリアとギリシャである。
ギリシャが、政府の借金問題でいまどのような立場に追い込まれているかは、周知のとおりだ。まさしく、国債相場は暴落し、国家破綻の現実的な可能性に直面している。ギリシャにとってこそ、間違いなく、危機はいまそこにある。イタリアにしても、その財政規律の軟弱さはつとに知られるところだ。こうした国々と純債務の状況がほぼ同じだということが、はたして安心の材料になるのか。
さらにいえば、純債務を算出するに当たっての債権側について、質の問題を考えておく必要があるだろう。債権側の大きな項目が、外貨準備高である。日本の外貨準備はたしかに大きい。中国とつねに外貨準備大国としてのトップの座を争っている。だが、その中身にはいささか問題がある。なぜなら、日本の外貨準備のあらかたがドルないしドル建て証券である。
日本の借金問題も心配だが、それに勝るとも劣らぬ心配の種がアメリカの借金問題である。借金大国アメリカのドルは、はたしていつまで、どれだけの価値を保持しつづけることができるのか。ドルが紙切れになる日はそう遠くないのではないか。ドルという通貨には、いまや、つねにこれらの問題が付きまとう。そのような通貨をたくさんもっているからといって、借金はあるが、金持ちでもあるといって喜んでいていいのか。

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【参考:私のブログ】:

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