ノアの箱舟を創ろう Let us Create the Super Ocean-Floating-Structures such as the Noah's ark.

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Sunday, March 28, 2010

『生涯現役、偉大なる父の背中を追い続ける』 第2回 伊勢型紙錐彫 2代目 六谷梅軒氏

【出展リンク】 http://www.isenp.co.jp/traditional/hozon2.htm


『生涯現役、偉大なる父の背中を追い続ける』 第2回 伊勢型紙錐彫 六谷梅軒    2代目 六谷梅軒氏

写真
【自分で制作した道具を使い、真剣に柄を彫っていく2代目六谷梅軒氏】
Q.伊勢型紙の成り立ちについて教えて下さい。

(六谷)
伊勢型紙がいつから存在しているのか、ということについては諸説ありはっきりしたことはわかっていません。とある史料で、本能寺の変で当時堺に滞在していた徳川家康が難を逃れようと三河に帰還する際、この辺り(鈴鹿市白子)から船に乗っていったと伝えられているのですが、その当時から既に伊勢型紙が産業として存在したという記述があるそうです。
さらにこのことがきっかけで、伊勢型紙は家康から庇護を受け、伊勢型紙を京都に売る商人には名字帯刀が許され、全国の関所で使用可能な通行手形まで貰い受け、全国の武士の裃にも使用されるようになったとされています。
結果、江戸時代にはこの辺りに住んでいる人は全て伊勢型紙に携わっているといっても過言ではないほど、産地として繁栄したというのが、伊勢型紙の成り立ちだと言われています。

Q. 伊勢型紙制作の工程について教えて下さい。

(六谷)
伊勢型紙制作にはおおまかにいって昔から伝わる江戸小紋を復刻する場合と、新作の柄を作る場合があります。
昔から伝わる江戸小紋を復刻する場合、版が既にありますので、ハケを使って版を墨で地紙(渋紙)に写し込みます。新作の場合は、最初に元となる原画を作りますが、特殊なカーボン紙を使い、作った原画は四方八方どこでも繋がるように描きます。これによって新しい版を作り、最終的に地紙に柄を写します。
これで下絵が完成し、ここから彫る作業に入ります。
彫には錐彫、突彫、道具彫、縞彫などの技法があります。それぞれに特殊な小刀を使い、常に砥石などで磨いで調節しながら、紙に穴を彫り、柄を表現していきます。
どれも高度な技術なので一人の職人につき専門の技術は一つが原則です。一度に八枚程度の地紙を重ねて彫っていきますが、これは型染めの際に紙が破れることがあるからです。
一日八時間から十時間作業して、伊勢型紙一枚作るのに十五日程の期間を要します。一つ完成させられるようになるには最低五年の修業が必要で、自分の道具を使い、その調節をしながら完成させられるようになるには二十年はかかります。
伊勢型紙を作る工程には地道なものが多く、何より忍耐が必要となります。

Q. この道に入られた時のエピソードを教えて下さい。

(六谷)
私は勉強が好きだったこともあって、跡を継ぐかどうか悩んでいたのですが、昭和二十八年、私が中学校を卒業する頃に、父が人間国宝に認定されることが内定して、父もこの技術をなんとか残したいということになり、長男だった私が跡を継ぐことになりました。
高校に行くことを諦める代わりに、弟達には全員良い教育を受けてもらえるよう、頑張って働きました。結果、弟達は全員大学まで通い、私もその協力が出来たと満足しています。

Q.仕事を継がれてから今まで、伊勢型紙を取り巻く環境はどのように変化していきましたか。

(六谷)
私がこの仕事を継いだ頃に比べると、この仕事は大変難しいものになってしまいました。当時は着物を着る人もたくさんいて、仕事に困ることはありませんでした。それこそ給料でも、当時の公務員よりもずっと稼げていました。ところが時代が進むにつれて着物離れが進み、さらに大量生産型の機械染め商品が増えることで、私達の仕事はどんどん減っていきました。伊勢型紙の組合員の数でいえば、私がこの仕事に入った時は三百名を超す組合員がいましたが、平成元年時には七十三名になり、現在では二十三名にまで減っています。
若い人の育成もなんとかしていきたいのですが、徒弟制が禁止されて以来、弟子を取って育てることが出来なくなってしまいました。実際、若い人達にとっても弟子入りをして数年間奉公する期間は、忍耐や仕事に対する姿勢など、人間的な基礎を作る為に重要な期間なのです。
それを経験しないので、学生さんがたまにこの仕事をやりたいと入門してきても、すぐに仕事の辛さに耐えかねて辞めていってしまいます。
しかもたとえ苦労して一人前の技術を身に付けたとしても、食べていける保証をしてあげられないのが今のこの業界を取り巻く現状です。これでは私たちも自分の子供達にこの仕事をさせることは出来ません。今、伊勢型紙は非常に危機的な状況に陥っていると言えるでしょう。

Q.伊勢型紙を後世に残していく為に、取り組んでいることはありますか。

(六谷)
この仕事で何とか食べていけるよう、様々な試みをしていますが、最近では伊勢型紙の良さを皆さんに知ってもらえるよう、工芸品として作品制作をし、日展などに出展する人も出てきています。職人としてではなく作家としての道を作ることで、伊勢型紙をなんとか後世に伝えたいのです。
一方で、公民館などでワークショップを開いて、色々な人に興味を持ってもらえるよう活動をしています。そういった場を設けることも普及だけが目的でなく、仕事の場になればと考えています。

Q.今後の抱負などがあれば教えて下さい。

(六谷)
私も年齢的にそろそろ引退を考える時期ですが、職人というものは目の見える間はずっと仕事をして、仕事をしながら死んでいきたいと思うものなのです。ある日誰かが工房に訪ねてきたら、作業台の上で死んでいる。それが理想の職人像です。それと私には先代という素晴らしい目標がずっと存在し続けています。今でも作業台の前には父の写真を置き、仕事の励みにしています。父は職人としては勿論、人間的にも幅広く、どんなことでも深く追求し、楽しむ人でした。それでいて仕事となればその姿勢たるや比肩するものがないほどのものでした。いつの日か父に追いつくこと。それを目標にこの仕事を続けていきたいと思っています。


<平成21年12月25日(金)更新>
プロフィール

氏名:六谷梅軒

年齢:72才

所在地:鈴鹿市寺家3丁目6-43

出身地:鈴鹿市白子町 


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