ノアの箱舟を創ろう Let us Create the Super Ocean-Floating-Structures such as the Noah's ark.

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Tuesday, January 12, 2010

【時代の風:10代入りした21世紀=同志社大教授・浜矩子】: by 毎日JP

【出展引用リンク】: 

http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20100110ddm002070051000c.html

【引用始め】:以下の通り

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成人できるか、地球経済

2010年がやって来た。21世紀の次の10年の始まりである。ここまでの10年は、なかなか過激な10年だった。この10年のことを、イギリス人たちが「ザ・ノーティーズ」と命名した。


ノーティーズはnaughtiesである。Naught(ノート)とは、すなわちゼロのこと。ゼロゼロ年からゼロキュウ年までのゼロ続きだったから、naughtの10年というわけだ。


要は無の10年である。これはこれで面白い。ただ、ノーティーという英語にはもう一つの同音異語がある。


こっちは、いたずら小僧とか、わんぱく坊主という意味で使う。大人に適用すると、すけべ野郎とか、行儀知らずのニュアンスになる。けしからん奴(やつ)らのことだ。


てこずらせやがって。ひどい目にあったぜ。そんな感じが、「ノーティーズ」の言い方の中に滲(にじ)み出ている。


これが大西洋を越えてアメリカに行くと、また少々違う。アメリカ人たちにとって、2000年代は「ノーティーズ」ではなかった。アメリカ式の呼び名は「オーティーズ」である。オートは、oughtと書けば「かくあるべし」の意。Aughtと綴(つづ)れば、「何でも」あるいは「何か」の意味になる。「かくあるべし」を裏返せば、「こんなはずじゃなかった」である。「何でも」、「何か」からは「何でもあり」、あるいは「何が何だかわからない」のニュアンスが伝わる。


ノーティーズにせよ、オーティーズにせよ、そこにあるのは時代に翻弄(ほんろう)された人々の嘆きと呻(うめ)きだ。イギリスとアメリカといえば、アングロサクソン資本主義の張本人たちだ。その旋風を巻き起こしたおかげで、彼らは勝利の美酒に酔いしれるはずだった。


ところが、2000年代が終わってみれば何たることか。金融立国の夢破れて、勝利の美酒どころか、敗北の苦杯をなめる境遇に陥っている。ああ、いたずら小僧の憎き10年め。ああ、こんなことになるなんて。そんな彼らの思いを受けて、ノーティーズとオーティーズは誠に言い得て妙である。これくらいの自嘲(じちょう)上手が残っていれば、まだ彼らにも立ち直る余地があるかもしれない。


さて、そこで次の10年を何と名づけるかだ。10代といえばティーンエージャー。すると、2010年代は「ティーニーズ」か。イギリスのマスコミはこのネーミングに傾いているようだ。その趣旨は、一応わかる。だが、ティーニーと来ればたちどころに連想する言葉がある。それは、ティーニーウィーニー(teeny-weeny)である。幼児語で、「とってもちっちゃい」の意だ。2010年代は、地球経済がとってもちっちゃくなってしまう時代になるのだろうか。


そうなる恐れは、大いにある。年明け早々、BIS(国際決済銀行)が警告を発した。彼らいわく、世界の大手金融機関が再び過度のハイリスク志向を強めている。世の中は、早くも再び、リーマン・ショック前夜の状況に戻りつつあるというのである。


BISといえば、中央銀行たちのための中央銀行といわれる存在だ。中央銀行業の総元締である。そのBISが、このように警鐘をならす必要性を感じた。これはどうして、聞き捨てならない。


ノーティーズまたの名をオーティーズの最後の場面で、あれだけ痛めつけられたというのに、どうも、世の中は懲りない面々に満ちているらしい。こんなことでは、またぞろ、バブルと恐慌の再演だ。それを繰り返すたびごとに、国々は内向き志向の引きこもり症候群に陥り、地球経済はどんどんちっちゃくなってしまうだろう。デフレが深化する一方の日本の現状が、それを不気味に予見している。


どうして、早くも愚者と狂者の論理が戻って来てしまうのか。それは、我々がまだまだ、グローバル時代というものとの付き合い方をしっかりつかんでいないからだろう。21世紀的な処世術を会得していないのである。だからこそ、2000年代が無の時代となり、「こんなはずじゃなかった」と嘆くはめに陥った。


新しい生き方を身につけるには、10年という歳月はあまりにも短すぎたのか。それはそうかもしれない。


ノーティーズ/オーティーズを経て、21世紀は10歳になった。だが、10歳はまだまだ子供だ。幼児語こそ卒業したが、大人の言葉はまだ使えない。大人の知恵は、決して自分のものになってはいない。


ティーニーズが終わった時、21世紀はハタチになる。成人式だ。そこまでにどれほどの知恵が備わっているか。果たして、愚行の無限ループと決別する賢さを、しっかり身につけることができているのだろうか。


この先10年、どう成長するのか。それが我々地球人類の課題だろう。ただし、この場合の成長は、近ごろはやりの「成長戦略」の成長ではない。知的成長の意味である。それなかりせば、2010年代はグローバル版失われた10年となること、請け合いだ。「失われた」は英語でロスト。へたをすれば、2010年代はティーニーズならぬロスティーズになるというわけだ。それを避けるための知恵の戦略。そこが問われる。=毎週日曜日に掲載


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【引用終わり】:以上の通り
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