ノアの箱舟を創ろう Let us Create the Super Ocean-Floating-Structures such as the Noah's ark.

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Tuesday, June 30, 2009

現在の自民・公明党与党は、日本の社会、政治・経済の改善すらできずに、日本の社会・経済を闇黒の世界に引きずり込み、主権者である国民を困窮の淵へ、突き落としたのである。

現在の自民・公明党与党は、日本の社会、政治・経済の改善すらできずに、日本の社会・経済を闇黒の世界に引きずり込み、主権者である国民を困窮の淵へ、突き落としたのである。

暗闇に覆い尽くされた日本の社会を変えるために、自公与党議員は、天の岩戸の前で禊をせよ。 松岡伊勢の神風(matuokaisenokamikaze)より。

 暗闇に覆い尽くされた日本の社会を変えるために、自公与党議員は、天の岩戸の前で禊をせよ。 松岡伊勢の神風(matuokaisenokamikaze)より。


1.自分達の似非的な権力支配を終焉させるために、天の岩戸の前で、身を隠した古来の大和姫(主権者の国民)のご機嫌を立て直すために、その大和姫のために、禊をしなければ、大和姫は、その輝きをこの大和日本の社会に、見せることはないであろう。

2.麻生総理が今年正月に、伊勢神宮に、お参りなされたけど、そこには、すでに大和姫《主権者国民》がいなっかったのである。

3.天の岩戸は、伊勢神宮より離れた伊勢志摩の山中の鍾乳洞に実在しているのである。

4.与党議員は、その古来のいわれの縁起のある岩戸の前で、その禊を行うべし。

5.謙虚に、その狼藉を反省して、清らかな私心のないの姿を大和姫(国民)にしめさなければならないのである。

6.自公与党議員は、率先して、身体中を汗を流してこそ大和姫《国民》に好かれるのである。

7.禊は、寒中の厳しい中で、汗をかいて、日本の天地を司る神々の表徴の大和姫(国民)に誓うことである。

8.自公政権が、このような方法がとれないというならば、国会を直ちに解散し、主権者の国民が求める国民に対する禊としての次期衆議院選挙を 直ちに実行して頂きたい。

9.主権者である国民である(この日本の麗しき(うるわしき)大和姫達によって、現在の自民・公明党与党政権の欺瞞性と傲慢で。無能力の権力支配に、不支持を、厳然として、表明しているのである。

10.麗しき大和姫たちは、すでに、辛抱、我慢の限界で、すでに、あなた方を見放しているのです。

11.あなたがた自民・公明党の与党議員諸君は、その偽善性を覆い隠した正体は、すべて、国民(大和姫)達は見抜いておられるのです。

12.速やかに、潔く禊【選挙】をして、謙虚に反省して、どこぞの野山へでも、身を隠しなさい。

Asyura投稿リンク:http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/843.html

http://blog.with2.net/link.php?847650

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与野党ともに、消費税を上げることを検討する前に、日本の国民が、安心、安定した生活ができる政治経済・社会の創生の制度対策の具体案を国民に提示し、実行すべきである。

与野党ともに、消費税を上げることを検討する前に、日本の国民が、安心、安定した生活ができる政治経済・社会の創生の制度対策の具体案を国民に提示し、実行すべきである。

1.現在の自民・公明党与党政権は、現在の国民のあらゆる人々が、生活経済、雇用・就業に関して、不安、不安定や経済的な困窮に直面していることに対して、真正面からその対策についての根本的な解決のための制度作りについて、検討をしていないようである。 景気対策のための目先の整合性と計画性のないバラマキによる選挙対策のためのような支離滅裂な補正予算だけで、応急処置で、済ませようとしている。この応急処置についても、いい加減の計画性のない。非合理的な予算配分である。まったく無責任な政治政策を、いかにも合理性があるように見せかけているだけで、その偽善性を覆い隠そうとするだけの無能力な、自民・公明党の与党政権である。

2.この自民・公明党与党連立政権の10年の政治・経済路線によって、主権者である日本の国民が栄栄として汗で、積み上げた来た国富を、ごくわづかな時間の中で、霧散させて、国民の社会・経済の土台を台無しにし、破壊させてしまったのである。現在の日本の社会経済状況は、この自民・公明党与党連立政権の経済路線の誤謬で、引き起こされたものである。この危機的な経済状況を国民にもたらして、主権者である国民を困窮な状況に引きずり込んで、それでも、一度足りの謙虚な反省も無しで、平然として、その政治・権力を不当的に、行使しているのである。

3.ほとんどの、国民は、このように理解・解釈しているのであるが、この自民・公明党政権は、この経済的な失政についての自らの経済制度・政策的な誤謬について、主権者国民に対して、不正直、不誠実・無責任であり続け、その誤謬に言及しようとはしないのである。 それに、増し加えて、自らの政策について、自画自賛を表明する傲慢さや高慢性を併せ持っているのである。 それに加えて、国民が早期の解散選挙を望んでいるにも関わらず、居座り続けて、選挙の先延ばしをしているのである。まったくどうしようもない無責任な自公連立政権である。 

4.この与党政権に属する人たちの、政策能力のレベルが疑われるのである。 明確に言えば、賢い知恵を生み出せない無能力な、低レベルの烏合的な政権であると国民に判断されているのである。

5.社会的常識性、人間性においても、行動においても、非常識な人々が政治政権の中央に居られて、国政を担当していたのである。中川氏や鴻池氏の例を挙げるまでもない。

6.さらに総理大臣にしろ、政治政策の主導権が取れていないのである。政治的な都合や政治状況によって、総理大臣を3度も変えても、内閣の政治政策の実行性が停滞したままである。

7.このような状態では、自民・公明党の連立与党政権に対して、信任していた国民でさえ、信頼をしなくなってしまっているのである。

8.このことを、存じているのか、無視をしているのかは判明しないけれど、いずれにせよ、そのような政治に対して、主権者の国民に対する欺瞞性と偽善性を覆い隠している欺瞞性だけが、浮き上がるような自民・公明党与党政権である。

10.このような主権者の国民から不信をもたれる政権は、もはや政治・政策を語る資格を失っているのと同然なのである。

11.多くの困窮する国民が、政治・政策において、現在、早急に求めているものは、社会生活・安心・安寧と経済の安定である。

12.与野党ともに、これを、実現させる政策を早急に創り、実行して頂きたい。

13、経済的な状況の改善には、一番の効果は、政治不信に信頼を取り戻すことで国民に安心を与えることから始めれば良い。 現在の自公政権には、もはや、この資格さえないのである。

14.昔から言われていることであるが景気、不景気の根底にあるのは、国民の気の持ち方で変わるものである。

15.現在の野党におられる政党はこのことを十分に認識して、善処して頂きたい。

16.野党間で、政策上の反目をするようでは、もっての外である。国民から不信を受けるだけである。

17.日本の現在の危機に際して、大同につかなければ、主権者の国民の我慢の緒が切れることになリ。その影響は、多大である。混乱の未曾有の闇黒がそこに出現されることになるであろう。

18.主権者の国民も、次回選挙で、しっかりした政策を持ち、安心感と責任感と実行力のある政治家を選び出そう。

19.新しい政治・政策は、あくまでも、主権者である国民が決定をしていく権利を有するのである。

20.主権者である国民が、困窮するような政治・経済政策は、断固として、してはならないのである。

 Asyura投稿リンク:http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/886.html

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youtube matuokaisenokamikazeのチャンネル

 
  youtube matuokaisenokamikaze の私のチャンネルの紹介です。

 どうぞ、よろしくお願い致します。 是非御覧下さい。 コメントもお待ちしています。

 色々と投稿コメントをしています。
  

 リンク: 
    
    http://www.youtube.com/user/matuokaisenokamikaze
    
    http://www.youtube.com/user/matuokaisenokamikaze

Youtube動画:お気に入り

  私のYoutube動画:お気に入りの紹介です。

   http://www.youtube.com/my_favorites?pi=1&ps=20&sf=none&sa=0&sq=&dm=1

Monday, June 29, 2009

Non ho L'eT'a (Per Amorti)

私の好きな歌手です。

 ジリオラ・チンクエテイ Non ho L'eT'a    :Youtube

http://www.youtube.com/watch?v=0fDhVPTKJUk&feature=channel_pag

Sunday, June 28, 2009

民主党の政権構想の中で、国際的な外交戦略が不明確である。

 私の民主党幹事長 岡田克也氏への投稿メールです。

 以下の 私の提案です。


 拝啓岡田様、大変忙しいところご苦労様です。

 民主党の政権構想の中で、国際的な外交戦略が不明確である。

1.日本の政権を獲得する前に、民主党は世界の人々に対して、民主党の外交路線を早急に、内部で、積み上げて、その外交戦略を明確に提示する必要があると想います。

2.世界の現状に対する改善に対する姿勢が、世界の人々から、歓迎されるような政治・外交戦略の確立が、世界の世論の中においても、非常に大事なことであると思います。

3.そこで、民主党政権の政府が世界に対して、どのようにして、どのような方向で、どのような目的で、日本の外交や国際的な社会の創生をしていくべきかを明らかにすべきであると思います。

4.是非、選挙前に、そのことをお願いしたいと存じます。

5.混迷の世界に対して、希望のあふれる世界の創生のために、先陣を切っていただきたく存じます。

6.これには、多くの国際的な世論と外国政府の協力が必要です。時間もかかるようですが、在日の各国の大使館との接触も重要であると思います。大いに外交路線の広報活動を拡げることもひとつの方法であると考えます。

7.日本の潜在力を大いに世界の発展に振り向けていく戦略が、これからも重要なものになっていくと思います。

8. 民主党の最大限の努力を期待し、困窮する世界の人々に対する責任のある政権運営を願っております。

9.困窮する人々に対して、人類の未来社会の創生のための新しい分野の産業の創生、育成が、国際的な協力関係の構築の中で、非常に重要で必要な時代の波音高く押し寄せてきています。

10その激動に政治が停滞することは許されないことです。

11.賛同する国民を増やしながら共におおいに、がんばって行きましょう。

 民主党サポーターより。 では失礼をいたします。

人類の希望を創生させるために、私は現公明党政権とその支持団体の創価学会の路線の誤謬を正す戦いをこのブログで、展開している。

人類の希望を創生させるために、私は現公明党政権とその支持団体の創価学会の路線の誤謬を正す戦いをこのブログで、展開している。


1.

この10年の日本の政治は、自民党に連なる米国の前ブッシュ政権に、いいように利用されて本来の政治正義を捨ててしまった公明党の因果で、公明党の衰退が引き起こされた。

 この10年の日本の政治において、自民党に連なる米国の前ブッシュ政権によって、いいように利用されて本来の政治正義を捨ててしまった因果によって、現在の公明党の衰退が引き起こされた。

1.公明党が10年程前に、与党連立したとき、その当時日本の経済バブル崩壊で、日本の金融経済が、危機的な状況にいたっていたのである。

2.このとき公明党は、野党に位置していたのであるが、公明党の支持団体の創価学会において、学会員の集会の中で、与党に参加すべきかの議論がなされたのであるが、その路線の決定は、創価学会の幹部虫垂が、最終の判断をして、与党連立の方向へ、舵をきったのであった。

3.そのときの創価学会幹部の最終的な決定により、当時の日本の経済危機を救うためにとの正義をあげて、与党自民党との連立に参加することになったのである。

4.その当時の自民党は、勢力としても、一旦野党になったいた時である。その当時に与党は
自由党、さきがけ、公明党、社会党の連立内閣であったが、短い間に連立が不成立になり。細川政権で、崩壊してしまったのである。

5.野党の自民党は当時の自由党、社会党、公明党と連立を組み、村山内閣の政権が生まれたのである。

6.比較的に安定した政権であったが、その中から、自由党がその連立から立ち去り、野党におりたのである。

7.当時の日本のバブル崩壊前の経済は、米国経済をかく乱するほどに成長した絶頂期にあった時に、米国の日本に対する政治的な政策として、日本経済力に対する脅威をどのようにするかの課題が米国の政権の政策課題に出現したのである。

8.このとき米国政権は、クリントン民主党政権であった。

9.日本に対する経済的な脅威に対して、米国政権は、日本の経済政策に、圧力を強めることになったのである。

10.米国政権は日本の与党政権に外需依存の経済を内需拡大の経済路線をとるように、促したのである。

11.ここに、内需拡大のために、日本の社会資本の拡大を名目にした、公共事業等の社会資本の投下拡大が生まれてきたのである。

12.この状況の中で、米国のブッシュ政権下において、9.11テロ事件が発生したために、自民・公明党連立与党政権は、米国主導のその国際政治に巻き込まれてしっまたのである。

13.米国のこのブッシュ政権によって、その後にイラク戦争への参加の政治政策が引き起こされたのである。

14.このブッシュ政権の裏には、イラクのフセイン政権の脅威を感じているイスラエルの思惑が存在していたのである。 イスラエルの与党政権によるイスラエルロビーストと米国のネオコンの保守政権が強く結びついていたのである。

15.公明党は、この米国の政治路線に対して、何ら疑うこともなしに、この米国主導の政治政策を進んでしまったのである。

16.この結果が現在の公明党の姿であり、この時点で、公明党は、国際社会に対して、平和を創生するとの党是を否定して、米国政権に協力し、正義を捨てることになったのである。

17.公明党は創価学会員に支持されて、存在しているのであるが、この国際的平和の創生の理念をすてさった偽善的な状態が現在の公明党の姿である。

18。ここに、現在の大きな公明党の路線上の誤謬があるのである。

19.公明党は、日蓮大聖人の立正安国の原点に立ち返るべきである。謙虚に不正義闇黒の政治路線を謙虚に反省すべきである。

20.切にこれを祈る次第である。



     元創価学会員より  2009.6.28

参考リンクAsyura投稿: http://www.asyura.com/09/senkyo64/msg/167.html


【参考リンク】:日蓮 wikipedia:
      http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%93%AE
http://blog.with2.net/link.php?847650
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Friday, June 26, 2009

法華経とは:松岡正剛氏のブログ記事の紹介

 リンク:http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1300.html
      
       梵漢和対照・現代語訳   法華経(上下)

  参考リンク1: 「21世紀文明と大乗仏教」池田大作氏: ハーバード大学講演
           http://www2.sokanet.jp/06soka-info/achievements/02/pdf/01.pdf
     《 注 》 この講演に、池田氏の法華経の行者としての全霊がこめられている。
        大乗仏教すなわち法華経の世界展開の目的が明確に述べられている。

参考リンク2:法華経とは        
         http://www.ceres.dti.ne.jp/~kosho/kyo_001.html

参考リンク3:漢訳『法華経』と漢文について
       http://www.kojintekina.com/monthly/monthly60506.html
      
参考リンク4:日本で初めて法華経を講義をした聖徳太子:Wikipedia
       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90

 参考リンク5:南妙法蓮華経とは:Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E7%84%A1%E5%A6%99%E6%B3%95%E8%93%AE%E8%8F%AF%E7%B5%8C

  参考リンク6:法華経とは:Wikipedia
       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C

 
 
 以下は;松岡正剛氏のブログです。
 
 法華は仏の真如なり 万法無二の旨(むね)を述べ一乗妙法聞く人の 仏に成らぬはなかりけり 今夜は「千夜千冊」1300夜にあたる。
 
 すぐる日曜日の早朝は、ぼくに近しい羅漢さんたち数十人で表沙汰「陶夜會」を打ち上げた。そしてモンゴル力士日馬富士の初優勝があけての1300夜になった。なんとなく記念したい。そこで以前からとりあげようと思っていた法華経にした(今夜は繁雑になるので『法華経』というように『×××』の二重カギ括弧でくくらない。他の経典名もそうする)。 
 
 法華経だけでなく、般若経や華厳経も維摩経も浄土三部経も、また大乗起信経や理趣経などもとりあげたいのだが、やはり法華経からだろう。もっとも華厳経については、高銀の小説『華厳経』を2003年12月の681夜にとりあげた。 テキストは梵漢和対照の『法華経』上下巻にした。植木雅俊さんが訳したばかりの最新版だ。梵漢和が対照されて一般書になったのは初めてなのではないか。植木さんは九州大学の理学科の出身で、一転、東洋大学をへて中村元さんの東方学院で研鑽されたのちは、仏教にひそむ男性原理と女性原理の研究などに勤しむかたわら、法華経サンスクリット原典の現代語訳と解明にとりくんできた。 ぼくはまだ親しく話しこんでいないのだが、福原義春さんの紹介で「連塾」に来られてもいる。そんな縁もあり、本書は植木さんから恵送された。


 妙法蓮華経 書き込み持(たも)てる人は皆五種法師と名づけつつ 終(つい)には六根(ろっこん)清しとか 日本人は長らく法華経を、僧侶ならば漢訳経典を音読で、在家の多くはその漢訳を読み下して読誦してきた。しかし、もともと法華経はサンスクリット語で書かれていた。いまはその写本のうちのネパール本・中央アジア本・カシミール本の写本が残る。原題は『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』で、すなわち『白い蓮華のように正しい教えの経典だ』。

 法華経サンスクリット語写本(ギルギット写本) それが漢訳・チベット語訳・ウイグル語訳などをへて、近代になると英訳・仏訳・日本語訳などとなってきた。漢訳は「六訳三存三欠」とよくいうのだが、笠法護(じくほうご)や鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)らの6種類の翻訳となり、さらにそのうちの3種だけがいま現存する。『妙法蓮華経』というのは鳩摩羅什の訳だ。笠法護は『正法蓮華経』とした。 日本人は長きにわたって漢訳仏典に従ってきたが、これはさしずめシェイクスピア(600夜)やゲーテ(970夜)を最初から漢訳で読んできたというようなもの、いったんはシェイクスピアの英語やゲーテのドイツ語の原典に当たったうえで、日本語訳もそこからの訳で読んだほうがいいのは決まっている。 そこで仏典にあっても、サンスクリット原典からの法華経日本語訳がゼッタイに重要になるのだが、これを最初に試みたのは南条文雄(1913)だった。ただしこの訳文は、ぼくも覗いたことがあるけれど、漢訳文語調でそうとうに堅い。これをもう少し現代日本語に近づけたのが岩本裕のものなのだが(1962)、それでもやはり漢文読み下しふうだった。それでもそれが長らく、岩波文庫版として流布していたので、たいていの法華経ファンはこれを読んできた。 それよりずっと現代語っぽいのは、レグルス文庫の『法華経現代語訳』3冊(第三文明社・1974)で、三枝充悳(1249夜)さんの思いきった訳だった。ぼくはこちらでやっと法華経の大概を知った。津島さんと対話したときは、ちょうどこの三枝訳に接していたときなのである。最初は漢文読み下しにくらべると格調がないのが気になったけれど、理解はおおいに進んだ。 ほぼ同時期、中央公論社の『法華経Ⅰ・Ⅱ』(松濤誠廉・長尾雅人訳・1975)も出た。以来、その他の試みもいろいろ出たが、かくして今度、植木さんの徹底したサンスクリット原典からの現代語訳がいよいよお目見えしたわけだ。 むろん経典の字句を点検しようとするわけではないのだから、おおざっぱな法華経議論をするならどのテキストでもいいのだが、本書のような梵漢和対照訳を見ているとやはり何かがちがう。何がちがうかというと、字句の問題をべつにすると、熱砂の時空を越えてきたという実感が湧く。
 
 一乗妙法説く聞けば 五濁(ごじょく)我等も捨てずして結縁(けちえん)久しく説き述べて 仏の道にぞ入れたまふ

 新宿番衆町のローヤルマンション10階でのこと、ぼくが「聖者はオートバイに乗ってやってくる」と言ったら、ちょっと間をおいて津島秀彦が「うん、松岡さん、それなら法華経に速度を与えよう」と応えた。ついでに「釈迦とマッハをつなげたいね」とも加えた。なんと鮮烈なことをズバリと言うものかと驚いた。 1975年に二人で対話した『二十一世紀精神』(工作舎)の冒頭だ。ぼくは痩せぎすの31歳。だからそういうふうに津島さんと出会って、もう30年以上がたっているのだが、このときに「法華経に速度を与えよう」と言った津島さんの言葉は、その後も川辺で聞こえてきた異人の口笛のように忘れられない。いまでもときどき思い出す。今夜、好んで見出しにつけている『梁塵秘抄』法文歌(1154夜)や、また宮沢賢治(900夜)の「月光いろのかんざしは・すなほなナモサダルマ・フンダリーカ云々」の詩句のように。
 
 津島秀彦さんとセイゴオの放談集『二十一世紀精神』(工作舎)扉ページより
 そのころ津島さんは、アメリカ仕込みの生体量子力学をひっさげて大陸書房でいろいろ本を書くかたわら、「エコノミスト」誌上で何人もの新宗教の開祖や2代目との対話シリーズを連載していた。それが一段落したところで、ぼくと対話したいということになった。おかげで、津島さんのせいで風変わりな法華経ファンになった。仏教経典として読むというより、最初から高速の思想テキストとして読む。いや、ちょっと気取っていえばハイパーテキストとして読むようになった。 
 
 一方、ぼくの法華経がらみの好奇心は、そのままいったんは日蓮や宮沢賢治に、天台本覚や北一輝(942夜)に向いていった。とくに日蓮である。しかし、こんなふうな法華経の読み方をするようになったのも、ひとえに“法華経の速度”に引っ張られたせいだと憶う。 それにしても、生体量子力学と法華経を一緒に語るだなんて、そんな無謀なことを平気で言うような科学者や仏教学者は、そのころまったくいなかった。 たとえば、松下真一が『法華経と原子物理学』(光文社)を書いたのは1979年で、その前にわずかにフリッチョフ・カプラが『タオ自然学』(工作舎)で華厳経とタオイズムと量子物理学を交差させているのが目立っていた程度だった。津島さんはそういう“流行”の先頭さえ走っていた。 もっともカプラのものも松下のものも、当時のぼくにはたいへん刺激的だった。そこでぼくはカプラとはサンフランシスコ・バークレーで会うことにしたのだが(そして『タオ自然学』を工作舎で翻訳刊行することにしたのだが)、残念ながら松下さんとは出会えなかった。そのかわり、さまざまな音楽をたっぷり聞いた。 松下真一は数学者としては、ハンブルク大学理論物理学研究所の位相解析学の研究員だった。作曲家としては声明(しょうみょう)や和讚(わさん)に早くからとりくんでいた。東西本願寺・高田派・光明寺派などが真宗連合を結成したときにはオラトリオ『親鸞』を作曲し、さらに阿含経(あごんきょう)にもとづいたシンフォニー『サムガ』などもつくっていた仏教研究者でもあった。レコード9枚におよぶ『妙法蓮華経』という超大作もある。けれども、あまり理解されないままに1990年のクリスマスに亡くなった。 津島さんも今日にいたるまで、ほとんど理解されてはいない。本格的な著書もない。そのうえあろうことか、津島さん自身がいつのまにか行方不明になった。行方をくらますなど、まるで中世の禅僧や歌僧のようだけれど、そういうことをしかねない信条の持ち主でもあった。そういう人って、いるものだ。十数年後、娘さんがお母さんと訪ねてきて、ぜひ松岡さんのもとで働かせたいと申し出られた。お母さんは「だってこの子にとっては松岡さんが津島の代わりなんですから」と言う。デザインが好きな娘さんだったので、しばらく手伝ってもらった。
 
 法華経このたび弘めむと 仏に申せど聴(ゆる)されず地より出てたる菩薩達 その数 六萬恒沙(ろくまんごうしゃ)なり 津島さんの「法華経に速度を与えよう」で始まったぼくの風変わりな法華経青春縁起は、その後はちょっとばかり落ち着いて、そのかわり日蓮の影響も手伝って、だんだん質的に変化して、いつしか自分でも手に負えないほど巨きくなった。 理由ははっきりしている。大乗仏教における「菩薩」や「菩薩行」とはいったい何かということが気になってきたからだ。 このことに関してはいまならいろいろのことが言えそうなのだが、それを今夜はとりあえず端的にいえば、法華経が演出した「地湧(じゆ)の菩薩」の満を持した覚悟の意味と、「常不軽(じょうふきょう)菩薩」の不思議なキャラクタラリゼーションの意図を追いかけたいということ、このことに尽きている。 地湧の菩薩は法華経の15「従地湧出品」(じゅう・じゆしゅつほん)に登場する。その名の通り、大地を割って出現した六万恒河沙の菩薩たちをいう。ブッダが涅槃に入ったのち、その教えが伝わりにくくなり、その信仰の本来の意図の布教が躊めらわれていたとき、ついに地面から出現したのが地湧の菩薩たちだった。
 
 たいそう劇的なことには、この地湧の菩薩が出現してくる瞬間、法華経全巻がここで大きく転回していくのである。 この構成演出はすばらしい。それとともに、ここに菩薩の意味がついに明示されていた。   

 かれらは「知っての通りの待機者」だったのだ。 お恥ずかしいことに、ぼくは長らく仏教における菩薩とは何者なのか、何を担っている者なのかということがわからなかった。なぜ悟りきった如来にならないで、あえて菩薩にとどまっているのか。そこにどうして「利他行」(りたぎょう)というものが発生するのか。そこがいまひとつ得心できていなかった。こんな宗教はほかには見当たらない。
 
 菩薩はエヴァンゲリオンではない。他者にひっこむものなのだ。凹部をもったものなのだ。 そういう謎が蟠っていたのだが、それを払拭したのが法華経の「地湧の菩薩」だったのである。いや、法華経における「地湧の菩薩」の巧みな登場の“させかた”だったのだ。つまりはこれは、法華経におけるブッダが示した鍵に対する凹んだ鍵穴だったのである。

 地涌の菩薩の一団の出現(「法華経曼荼羅」第十四軸部分) 実際には菩薩(ボーディ・サットヴァ)とは、ブッダが覚醒する以前の悟りを求めつつある時期のキャラクタリゼーションをいう。しかし法華経においては、その格別特定のブッダの鍵がカウンター・リバースして、いつのまにか菩薩一般という鍵穴になったのだ。 というふうには感じているのだが、まだこのことに関してはぼくの思索が現在進行形している途次なのである。

 不軽大士(ふきょうだいし)ぞ あはれなる我深敬汝(がじんきょうにょ)と唱へつつ打ち罵り悪しき人も皆 救ひて羅漢と成しければ 一方の常不軽(じょうふきょう)菩薩のほうは、法華経20の「常不軽菩薩品」に登場する。鳩摩羅什の漢訳では「常に軽んじない菩薩」(不軽)という漢名をもっているのだが、サンスクリット原典では一見、「常に軽蔑されている菩薩」とも読めるようになっている。 植木さんはそこを、こう訳した。「常に軽んじないと主張して、常に軽んじていると思われ、その結果、常に軽んじられることになるが、最終的には常に軽んじられないものとなる菩薩」というふうに。うーん、なるほど、なるほど、これならよくわかる。ネーミングの意図を汲み上げた訳になっている。そうであるのなら、この菩薩は鍵と鍵穴の関係をさらに出て、菩薩と世界の、菩薩と人々との“抜き型”そのものになったのだ。フォン・ユクスキュル(735夜)ふうにいえば、その“抜き型”のトーンそのものになったのだ。 

 常不軽菩薩がこのような、比類なくアンビバレントな名前をもっていること自体も意味深長なのだが、そのうえでこの菩薩は何をするかというと、乞食のような恰好のまま、誰だって成仏できますと言い歩く。そこがまたもっと不思議なのである。だいたい、そんな安直なことを急に言われても、誰も納得するはずがない。かえってみんなに罵られ、石を投げられ、打たれたりする。それなのに常不軽菩薩はあいかわらず誰に対してもひたすら礼拝をする。あるいはひたすら菩薩の気持ちを述べる。それしかしない。そればかりする。

 石を投げる人々に礼拝する常不軽菩薩 この常不軽菩薩のキャラクターが法華経全巻において燻し銀のごとく光るのだ。これは「愚」なのである。「忍」なのである。いわば常不軽菩薩は「誰も知らない菩薩者」として法華経に登場してきたのだった。
 
 それゆえ、ひっくりかえしていえば、この菩薩こそ“何の説明もないすべての可能性”だったのだ。 もしもドストエフスキー(950夜)やトーマス・マン(316夜)が常不軽菩薩のことを知っていれば、すぐに大作の中核として書きこんだはずである。そのくらい、断然に光る(なぜ日本文学はこの問題をかかえないのだろうか)。 
 というわけで、ぼくはいま「地湧の菩薩」と「常不軽菩薩」のあいだを行ったり来たりしているのだが、それはそれ、今夜はそろそろ法華経という構造がもっている本質的な編集構成の妙義について、以下、ちょっとだけのピクニックをしてみたい。

 釈迦の誓ひぞ頼もしき 我等が滅後に法華経を常に持(たも)たむ人は皆 仏(ほとけ)に成ること難(かた)からず 世界宗教としての仏教(ブッディズム)にはいくつもの特色があるが、そのひとつにキリスト教やイスラムなどの宗教では、教典はバイブル一冊やコーラン一冊に集約されているのに、仏教が多くの経典をもっていることがあげられる。
 俗に「八万四千の法門」という数だ。べらぼうだ。 ところが法華経は、そういう多種多様な経典を生み出した仏典のなかで、「万善同帰教」というふうにみなされてきた。「諸経の王」ともいわれてきた。すべてのブッディズムの教えはことごとく法華経に入っているという見方なのである。そう、法華経は思われてきた。
 そもそも仏教は、ブッダ亡きあとに長い時間と多くの信仰者と人士をもって複合的に組み立てられた宗教システムである。当然、経典もさまざまな編集プロセスをもって成立していった。それゆえ、のちには「万善同帰教」とみなされた法華経もその出自からすると、もとより一筋縄ではありえない。

 仏典結集(けつじゅう)の試みは、おそらくブッタ没後の直後からオラリティをもっておこなわれていた。きっと200年間ほどは口伝のままだったろう。だいたいブッタが喋っていたのはマガタ語というものなのだが、それがどんなものであるかは、さっぱりわかっていないのだ。
 
 それがしだいにリテラシーをともなって、紀元前250年前後のアショーカ王のころの第三結集に及んだ。ここで初めてサンスクリット語とブラフミー文字(アショーカ王碑文文字)が使われた。ほかにカローシュティー文字も使われた。 このことは決定的である。記録にのこるリテラルな文書性が交わされたことは、ついついリテラシーの対立を生み、それが思索の対立にもなったのだ。
 
 アショーカ王の時代、すでに仏教教団の内部や信仰者たちのあいだには議論や論争や対立がたえず、仏教活動は激しく分派していったのだ。ブッダの教えを守るのか教団の規律を重視するのかという、よくあるコンプライアンス問題による対立がきっかけで、大きくは伝統順守派の上座(じょうざ)部と時代適応派の大衆(だいしゅ)部に分かれた(=根本分裂)。 
 
 その対立部派が紀元前1世紀ころは20くらいの部派になって定着して(=枝末分裂)、いくつものアビダルマ(論書)が編集された。これを「部派仏教」(のちに小乗仏教と蔑称される)というのだが、それぞれのリテラル・ロジックはそれなりに強烈だった。

 ぼくもずいぶん惹かれた時期がある。 ただ、そうした部派仏教はもっぱら自己解脱をめざしていて、そのようになるために自己修行をし、自己思索を深めていくことを主眼としていたので、やがてそのような態度を批判する連中が出てきた。いや、乗りこえようとする動きが出てきた。

 これが大乗のムーブメントである。そのムーブメントがもたらした大乗仏教のあらましは、大筋についての流れを1249夜の『大乗とは何か』にもふれておいたので省略するが、ここに般若経から法華経をへて浄土三部経におよぶ大乗経典の執筆編集がとりくまれたわけである。 
 けれども、この執筆編集は決して容易なことでは組み立たない。当然、それまでの部派仏教とは異なる解釈や展望がなければならないし、部派仏教の信徒やアビダルマの研究者たちだって、むろんのことブッダの教えにもとづいた熱心な者たちなのである(かれらの理想は羅漢になることだったのだ)。そういうかれらを排斥するわけにはいかない。 
 そこで大乗ムーブメントの推進者たちは、かれらをひとまず「声聞」(しょうもん)と呼ぶことにして、そこからさらに解脱をめざしながらも独りごちしている者たちを「縁覚」(えんかく)として位置づけて、その二乗(声聞・縁覚のこと)をさらに開いて「利他行」に転じていった者を「菩薩」と位置づけることにした。  

 そのようにしたうえで、法華経の編者たちは大乗以前の考え方と大乗以降の考え方を、コンセプトにおいてもリプリゼンテーションの方法においても、うまくつなぐことを試みた。
 
 法華にまします所には 諸仏神力拝みつつ皆これ仏の菩提場 転法輪の所なり かくて西暦50年ころ、奇しくもキリスト教が確立していった時期にちょうどあたるのだけれど、今日の法華経構成でいう2「方便品」から9「授学無学人記品」までの3分の1くらいが書かれ、いったん流布していったのだ。 しかしこれだけでは、小乗から大乗への転換はまだまだうまくはたせない。
 折しも時代状況の変化やヒンドゥイズムとブッディズムの確執もあった。そのため西暦100年前後に、さらに10「法師品」から21「嘱類品」と「序品」が加わり(ここに15「従地湧出品』や16「如来寿量品」が入る)、最終的には150年前後あたりで23「薬王菩薩本事品」から28「普賢菩薩勧発品」が添加編集されて、ほぼ今日の構成にできあがった。途中さまざまな書き換えも着替えもあったろう。

 ざっとはこういう多様な編集プロセスがあったのだが、これらのなかでの最も重要な転換は、なんといっても「菩薩行」としての大乗思想を提案することだった。これを法華教学では「一仏乗」の思想達成というのだが、ただしその達成がおこるには、思想だけを提案していてもダメなのだ。

 その担い手の仏法的な意味をあきらかにする必要がある。 こうしてここに登場したのが「地湧の菩薩」だったのである。総称して菩薩群、あるいは菩薩団。その一般化。 これよって声聞・縁覚の小乗的ブッディズム理解を「一仏乗」に向かって一挙に止揚することにした。大乗仏教以前と大乗仏教以降は、まさに菩薩行の関係的介在によってなんとかつながりそうになる。 
 
 しかしながら、それだけではまだ不具合もおこる。副作用がおこる。たとえば、なぜブッダが教えを説いたときからそのような菩薩たちは登場していないのか。なぜ声聞や縁覚は出遅れたのか(つまり自己発見プログラムの開発ばかりに向かったのか)。
 
 どうしたら自分の自覚と他者の救済を同時にできるのか。それらについての説明はできてない。なにより、このままでは経典中でのブッダの教えが小乗時代の説法と大乗時代の説法とで変節しているように見える。実際に変節しているのだとしても、その理由を説明できない。 では、どうするか。ここにおいて「ブッダの方便」という格別の編集術が披露されるのだ。あるいは「法華の七喩」(法華経には有名な7つの譬喩が用いられている)といわれる数々のメタファーが駆使されたのである。ここからが法華経編集独特のアブダクションになっていく。

 空より花降り地は動き 仏の光は世を照らし弥勒文殊は問ひ答へ 法華を説くとぞ予(かね)て知る
 よく知られているように、法華経にはいろいろのレトリックがある。メタファーがある。それを総じて「方便」という。
 現在の日本人には方便は「嘘も方便」というようにあまりいい言葉と映っていないようだけれど、ぼくはそれを編集思想のたいへんよくできたラディカルきわまりない概念工事だと思っている。

 方便のない思想なんてありえない。アナロジーのない編集はなく、メタファーのない表現はない。法華経は早くもそこを存分に活用した。なかでも方便活用の最大の編集思想の妙は、ブッダの歴史性と永遠性とをどのように関係づけて説明するかというところにあらわれた。 

 ブッダの教えが永遠なものだと伝えるために、人手をつかい時間を費やして法華経が書かれたのは当然である。しかし、その生身(なまみ)のブッダ自身には永遠性はない。ブッダは80歳で死んだのだ。だからこそ信徒もふえたのである。
 一方、壮年期にたどりついたブッダの悟りはまさしく成仏・成道であるのだから(これを疑ったら何も始まらない)、そこには「仏としての永遠」もあるはずである。 

 では、この、いささか接ぎ木のようになっている二つのことを、うまくつなげて説明するにはどうするか。そこで、ブッダが菩提樹のもとで成仏したというのは方便であって、ほんとうのことをいえばブッダはずっと昔の久遠のときに成仏していたのだというふうに、法華経は後半部に進むにしたがって説き方を変えるようにしたわけだ。 衆生(しゅじょう)を救済するために、私(=ブッダ)はいったん涅槃に入る姿を示すけれど、実は実態としての涅槃に入るのではありません。

 それが証拠に、この法華経をいま説いているリアルワールドの霊鷲山(りょうじゅせん)にあって(法華経の序品はこの霊鷲山でブッダが説法をしている場面に始まっている)、ほれ、ブッダはいまもなおこのように説教しつづけているのですよ、というふうにした。

 霊鷲山上の法会(「法華経曼荼羅」第一軸部分)
 これは驚くべき解釈視点の転換だ。いわば“意図のカーソル”とでもいうものを大きく動かした。法華経はその文脈が進むにつれて、説得のコンテンツが相転移をおこすようになったのだ。それを法華経は、15「従地湧出品」に続く16「如来寿量品」のところで説明してみせるのである。しかも、その方便活用のメソドロジカルな下地は、2「方便品」や3「譬喩品」でちゃんと用意されていた。かくしてここに、「久遠仏」としてのブッダの存在学が確立していくことになる。

 三身仏性 珠(たま)はあれど 生死(しょうじ)の塵にぞ汚れたる六根清浄(ろっこんしょうじょう)得てのちぞほのかに光は照しける いささか教学的な用語をつかうけれど、歴史上のブッダは生身(しょうじん)という。
 これに対して永遠のブッダは「法身」(ほっしん)である。しかし、ブッダは生存中に成仏・成道し、偉大な智慧を獲得した者でもあったのだから、その、至高の智慧となったブッダという覚醒の内容は生身でも法身でもない。
 これを「報身」という。 他方、生身でなくなったブッダとは何者か。たしかに死んで涅槃に入ったようだった。けれどもそれはまた、たんなる死ではないはずだ。悟ったまま涅槃に入ったからである。そこで、そのブッダを「応身」というふうにする。 
 
 そうすると、ブッダは法身・報身・応身の三身にわたって過去・現在・未来をまたぐ時空を変化していたということになり、そのように変化するためには、もともとそのような変化を見せる永遠性がすでにどこかで準備されていたということになる。

 そう、法華経は編集的相転移を進めていったのだ。それで、どうなったのか。久遠仏としてのブッダという、フィクショナルではあるけれど、しかしとんでもないアクチュアリティをともなって巨変しつづけるブッダ像がつくられた。 

 もっとも、こんなアクロバティックな説明はすぐには納得できないだろうとも予想された。実際にも、この説明を聞いていた者たちはなんとなく疑問をもった。いや、法華経のテキストはそういうふうに、法華経を読む者たちが疑問をもつ場面があるだろうことも先取りをする。

 想定される疑問は、こうだ。釈尊が菩提樹のもとで悟りを開いてから教えを広めて、そこから数えて40年程度にしかならないのに、どうして久遠の昔から教えを説けるということになるのでしょうか。 
 
 そこで当のブッダがいよいよその意味を証していくというのが、法華経の後段になったわけである。「従地湧出品」とそれに続く「如来寿量品」は、そのブッダ存在学の核心部にあてられる。かくて法華経はみごとに前半部と後半部を並列処理できるように構成されて、いよいよ大乗仏典の「万善同帰教」として君臨することになったのである。

 法華経八巻は一部なり 拡げて見ればあな尊(とうと) 文字ごとに 序品第一より 受学無学(じゅがくむがく)作礼而去(さらいにこ)読む人聴く人皆(みな)仏(ほとけ) 法華経は28品で構成されている。品は「ほん」と読む。ただし28品であることにはそれほどの意味がない。あれこれ書き換えや着替えをして入念に仕上げてみたらこうなったというものだ。 

 次のようになっている。ふつうは「序品第一」「方便品第二」「薬草喩品第五」というふうに示すのが日本の仏教学の慣習になってはいるが、上記でもそうしてきたように、わかりやすく算用数字をあてた。

 1「序品」、2「方便品」、3「譬喩品」、4「信解品」、5「薬草喩品」、6「授記品」、7「化城喩品」、8「五百弟子受記品」、9「授学無学人記品」、10「法師品」、11「見宝塔品」、12「提婆達多品」、13「勧持品」、14「安楽行品」、15「従地湧出品」、16「如来寿量品」、17「分別功徳品」、18「随喜功徳品」、19「法師功徳品」、20「常不軽菩薩品」、21「如来神力品」、22「嘱累品」、23「薬王菩薩本事品」、24「妙音菩薩品」、25「観世音菩薩普門品」、26「陀羅尼品」、27「妙荘厳王本事品」、28「普賢菩薩観発品」。

 この構成が大きくは前半と後半に巧みに分かれるのである。前半の1~14品までを「迹門」(しゃくもん)、後半の15「従地湧出品」からを「本門」(ほんもん)というのだが、ここに法華経の最も特徴的な構造があらわれる。図解をすると次のようになる。

 法華経の構成 図で示してあるように、このうちの前半が「迹門」、後半が「本門」だ。そのほかいろいろ複雑な“幅タグ”がついているけれど、いまはこれらの区分けは無視しておかれたい。
 
 大事なことは全体が15「従地湧出品」のところで劇的に分かれるようになっているということだ。そのため16「如来寿量品」からが後半の本論になる。ブッダ存在学になる。 

 こうすることによって、前半の迹門で説いたブッダは歴史的現実のブッダだが、後半の本門のブッダは理念的永遠のブッダだというふうになった。そこがまことにうまくできている。
 
 これがもし詭弁的構成でないのなら、まさに超並列処理というものだ。 ぼくはこの絶妙を知ったときには、心底、感嘆した。
 
 キリスト教がマリアの処女懐胎やイエスの復活を説いたことには、たとえその後の三位一体論などの理論形成がいかに精緻であろうと、どうにも釈然としないところがのこるのだが、このブッダの歴史性と永遠性を“意図のカーソル”によって跨いだところには、それをはるかに勝るものがある。

 なにより、語り手のブッダが聞き手の菩薩たちにこのことを自身で説いているというドラマトゥルギーとしての根性がいい。 
 いったい誰がこういう文巻テキスト編集作業ができたのか。もはやその当初の着手者の名はのこらないけれど、おそらくは当初の文巻というものが下敷きになって、そこに多くの“加上”と“充填”が加わっていったにちがいない。

 仏は霊山浄土にて 浄土も変へず身も変へず始めも遠く終はりなし されども皆これ法華なり こうして、菩薩行の本来とブッダの永遠の性格を説明する後半は「本門」に集中させることができ、それにあたって使われる方便は前半部の「迹門」でも存分にアイドリングしておけるようになったわけである。 

 その前半のアイドリングを示す恰好なところはいくつもあるのだが、そのひとつ、ふたつを示しておきたい。 4「信解品」に、仏弟子たちが“あること”を告白している注目すべき一節がある。
 仏弟子たちが、私たちは世尊が説いた教理をすべて「空・無相・無願」というふうにあらわしてきが、私たちは耄碌したのかもしれない。そう言っている一節だ。

 四人の仏弟子がブッダを前に懺悔し、礼拝する図(「法華経曼荼羅」第四軸 信解品) この仏弟子たちというのは小乗の教徒たちである。「空・無相・無願」というのは、悟りにいたる三つの門のことを、すなわち「三解脱門」をさす。
 三つの門はのちに寺院の「三門」(山門)に擬せられたものでもあるが、無限定・無形相・無作為にいたることをいう。ところが、これを小乗教徒たちがどうやら虚無的に理解したらしい。だから耄碌したのかもしれないなどと自分たちのことをニヒルに語った(法華経の編者がわざとそう語らせた)。“あること”の告白とはこのことだ。 

 そこでブッダは有名な「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の喩え」をもって、窮子たる小乗的ニヒリズムの徒たちの迷妄を解き、大乗の可能性をひらく。この一節は、そのような小乗から大乗へのメタファーによる転換を示している。

 つまり法華経の編者たちは、ブッダの教えが声聞・縁覚にとどまる小乗教徒(部派仏教徒)によって曲解されていることをもって、これを新たな展開の契機にもっていきたかったのである。ただしその説明はすこぶるメタフォリカルだった。そのことが4「信解品」の書きっぷりに浸み出したのだ。

 屋敷で働く窮子(貧しい子)に、長者が全財産を贈与するという喩話 またたとえば、2「方便品」には、舎利弗が3回にわたってブッダに説法を願う場面がある。それに応じてブッダは説法を始めようとするのだが(三止三請)、そのときちょっと意外な場面になっていく。5000人の出家者・在家者がその場から一斉に立ち去ってしまったのだ。
 
 これから始まる法華経的説法を聞こうとしない。いったい「5000人の退席」(五千起去)とは何なのか。最高のブッダにおいて、どうしてそんなことがおこるのか。 大乗仏教の真髄に向かえそうもない連中の、その増上慢をあらかじめ戒めたというのがフツーの解釈だ。
 
 しかしもう少し深読みすると、法華経を侮ってはいけない、わかったつもりで聞くのなら、文脈から去りなさい。編者たちはそう言っておきたかったのだ。それにしてもわざわざ5000人もの退席を見せておくというのは、なんとも大胆な演出だった。

 真理は語ることができないとして説法を拒否したブッダ 法華経にはこういうふうに、「引き算」から入る文脈が少なくない。そのうえで「足し算」をする。引けばどうなるかというと、アタマの中に空席ができる。そこへ新たなイメージの束を入れるのだ。そういうことを随所で巧みにやっている。イメージの束だから、ついついメタフォリカルになるけれども、それを怠らない。
 
 これは法華経に一貫した際立つ特徴なのである。 それゆえ、ここは肝腎なところになるのだが、完成した法華経を読みこんでみると、方便や比喩はたんなるレトリックではなかったことがしだいにわかってくる。
 方便やレトリックによって聞き手に空席や空隙をつくり、そこに新しい文脈の余地を立ち上げること、それこそが法華経にひそむ根底の“方法の思想”だとも言えたのである。 
 だからこそ法華経は前半部でこそ声聞や縁覚の「二乗作仏」(にじょうさぶつ)を説くのだが、後半部では「久遠実成」(くおんじつじょう)を説いて、これをメビウスの輪のごとくに統合してみせられたのだ。

 釈迦の御法(みのり)は唯一つ 一味の雨にぞ似たりける三草二木は品々に 花咲き実なるぞあはれなる さて、まとめていえば、法華経の外観はよくできた物語だった。ドラマ仕立てのスペースオペラなのだ。場面も移っていくし、登場人物も多い。『レッドクリフ』の比ではない。だからまさに物語になっているのだが、そこには別々にできあがったエピソードやプロットをできるかぎり一貫したスクリプトのなかに収めようとしているのが、よく見える。つまり編集の苦労のアトがよく見える。

 そのことを説明するには、ここで1「序品」→2「方便品」→3「譬喩品」というふうに、1章ずつの内容をかいつまむべきだろうけれど、今夜はよくある法華経入門書のようにそれを踏襲することはやめておく。
 そのかわり、最も構成が絶妙なところだけをあらためて指摘する。 法華経には昔から、好んで「一品二半」(いっぽんにはん)といわれてきた特別な蝶番(ちょうつがい)がはたらいている。

 15「従地湧出品」の後半部分から16「如来寿量品」と17「分別功徳品」の前半部分までをひとくくりにして、あえて「一品二半」とみなすのだ。
 その蝶番によって、前半の「迹門」と後半の「本門」が屏風合わせのようになっていく。そのきっかけが、これまで述べてきた大勢の「地湧の菩薩」たちの出現だった。 
 つまりこの「一品二半」の蝶番には、前半の「二乗作仏」の説明を後半の「菩薩行」の勧めに切り替えるデバイスがひそんでいたわけである。そのため、ここで自力と他力が重なっていく。現実的な迹仏(しゃくぶつ)と理想的な本物(ほんぶつ)が重なっていく。

 その重なりをおこす蝶番が、ここに姿をあらわすわけなのである。地涌の菩薩はそのためのバウンダリー・コンディション(境界条件)だったのだ。 
 
 この蝶番の機能のことを法華経学では「開近顕遠」 (かいこんけんのん)、「開迹顕本」(かいしゃくけんぽん)、「開権顕実」(かいこんけんじつ)などという。近くを開いて遠きを顕わし、形になった迹仏から見えない本仏を見通し、方便とおぼしい例の教えから真実の教えを導く、ということだ。 

  ともかくもこのように、法華経はなんとも用意周到に編集構成されていた経典だったのである。やっぱりハイパーテキストだったのだ。なぜそうなったかといえば、理由は明白だ。そもそも大乗仏教のムーブメントは西暦前後に萌芽したものだけれど、法華経はまさにそのムーブメントの渦中においてそのコンストラクションを編集的に体現したからだった。 

 それをあらためて思想的に一言でいえば、次のようになろう。ブッダが空じた「空」というものを、ブッダが示した世界との相互関係である「縁起」としてどのようにうけとめるか、それを法華経が登場させた菩薩行によって決着をつけなければならなかったからである、と
 
 我が身ひとつは界(さか)ひつつ 十方界には形(かたち)分け衆生(しゅじょう)あまねく導きて 浄光国には帰りたし ふりかえってみると、そもそもブッダはバラモンの哲学や修行の批判から出発した。

 宇宙の最上原理であるブラフマン(梵)と内在原理であるアートマン(我)への帰入を解いたバラモンから、自身のありのままをもって世界を見ることによって離脱することを考えた。道は険しかったけれど、ブッダはついに覚悟してバラモン社会から離れていった。 
 
 覚悟したブッダが気がついたことは、世界を「一切皆苦」とみなすことだった。それによって、人間が覚醒に向かってめざすべきものは「諸行無常」の実感であって、「諸法無我」の確認であり、そのうえでの「涅槃寂静」という境地になることだろうと予想した。

 これはむろんたやすいことではない。ブッダはみごとに悟りをひらいたけれど、その精神と方法がそのまま継承できるとはかぎらない。継承者がいなくて縮退することは少なくない。

 そういう宗教なんて歴史上にはゴマンとあった。そこで、ブッダが説いた方法をもっと深く検討し、どのように継承すればいいかということが議論され、そうとうに深く研究されてきた。その方法が「縁起」によって相互の現象を関係させつつも、それらを次々に空じていくという「空」の方法だったのである。

 「空」や「縁起」がどういう意味をもっているかは、ここに話しだすとさすがにキリがないので、846夜にとりあげた立川武蔵『空の思想史』などを見てもらうこととして、しかし、ここでブッダ継承者たちのあいだで予想外の難問が生じてしまった。「空」と「縁起」を感じるにあたって、当時の多くの信仰者たちは自分の覚醒ばかりにそれをあてはめていったのだ。 
 
 それはあとからみれば、それこそが声聞・縁覚の二乗の限界だった。しかしこれを切り捨てることなく、二乗作仏の試みをして、さらに菩薩行をもってその流れに投じさせるには、ひとまずは声聞・縁覚に菩薩を加えた三乗のスキームによって、これを大乗に乗せていかなくてはならない。
 
 当初の大乗ムーブメントは、その難関にさしかかったのである。その「2+1」を進めるには、どうすればいいのか。三乗を方便としつつ、これを一乗化していく文脈こそが必要とされたのだ。 
 
 これを法華教学では「三乗方便・一乗真実」の教判という。声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗もろとも、一仏乗にしていこうというスキームだ。「2+1=10」という方法だ。 

 さてさて、ところで、こういう言い方をするのは、なんとなく気がついただろうけれど、インド的な見方というより、実は中国仏教が得意とするハイパーロジカルな表現力なのである。実はこれまで述べてきた迹門と本門という分け方も、中国法華学によっている。天台智顗の命名だった。
 
 中国仏教はこういう議論が大好きなだったのである。ついでにその話をしておきたい。
古童子(いにしえどうじ)の戯れに 砂(いさご)を塔となしけるも仏と成ると説く経を 皆人(みなひと) 持(たも)ちて縁結べ 法華経は西暦紀元前後にインド西北で成立したサンスクリット語原本ののち、やがて昼は灼熱、夜は厳寒の砂漠や埃まみれのシルクロードをへて、ホータンやクチャ(亀茲)に、そして長安に届いた。ここで法華経が漢訳されると、これには中国的解釈が徹底して加えられ、東アジア社会の法華信仰の場に向かって大きく変貌していった。

 宋版『妙法蓮華経』 法華経の漢訳にとりくんだ鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)は、344年にクチャに生まれた。父親はインド出身の高貴な出家者で、母親はクチャの国王の妹だった。幼少期から仏法の重要性を教えられて育った鳩摩羅什は、やがて自身でもカシュガルに出向いて小乗仏教を修め、さらにはサンスクリット本の初期大乗経典を読むようになった。
 その名声に関心をもったクチャ王の白純は鳩摩羅什をあらためて国で迎えることにした。ところがそのころ関中にあって勢力を張り出していた前秦の符堅が羅什の名声を利用してクチャを攻略することを思いつく。かくて符堅が派遣した呂光は西域諸国を攻めてクチャ王を殺害、羅什を捕虜とした。このあたり、けっこう血腥い(もともと宗教は血腥い)。それから17年間、羅什は涼州に停住させられる。しかし涼州を姚興が平定すると、姚興は羅什を国師として長安に招くことにした。 
 ここから鳩摩羅什が逍遥園のなかの西明閣や長安大寺で、数々の仏教経典の漢訳にとりくむというふうになる。その質量、35部294巻におよんだといわれるが、その最たる漢訳が、先行していた笠法護の『正法蓮華経』を一変させる『妙法蓮華経』だったのだ。
 鳩摩羅什はほかにも『阿弥陀経』『維摩経』『中論』『十二門論』『大智度論』などを漢訳した。廬山の慧遠(えおん)と交わした往復書簡集『大乗大義章』も興味深いものだった。 ところで姚興が羅什の出奔をおそれて美女十人をあてがったのというのは有名な話だが、羅什のほうもそれを拒むこともなく悠然と美女と遊んで暮らしたというのだから、なるほど仏典翻訳編集の難行と愉悦とはこういうものでもあるかと思わせる。
 いやいや、仏典翻訳がつねにそういうふうであるというのではありえません。鳩摩羅什はそうだったということだ。 さて、この鳩摩羅什の法華経が一挙に広まると、その弟子の道生(どうしょう)はさっそく注釈書をあらわし、それを法雲がうけつぎ、さらに随の天台智顗が徹底的に分析を始めた。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』などが著述され(これを天台三大部という)、漢訳法華経にひそむ迹門・本門の構造がこのとき発見されたのだ。
 
 智顗はそのうえ、かなりハイパーロジカルな思索をもって、法華経こそが大乗仏教最高の経典であるとのお墨付きをつけた。 こうして中国法華経学が起爆した。ちなみにぼくは工作舎で「遊」を編集しているあいだじゅうずっと、親しいスタッフには『摩訶止観』を読むように勧めつづけたものだった。

 仏に華香奉り 堂塔建つるも尊しやこれに優れてめでたきは 法華経もてる人ぞかし こうした中国仏教における法華経解釈には、当然ながらいつくかの大きな特色がある。そもそも鳩摩羅什の長安における漢訳が国家的文化事業であったことにあらわれているように、中国においては仏法は王法に匹敵できたのである。ただし、そこには儒教やタオイズムとの優勝劣敗が必ずともなった。
 また、中国では最初から大乗仏教が優先された。インド仏教のような部派仏教との争いがない。そのためかえって、大乗仏教のなかの何が最も優秀なのかという議論が途絶えなかった。
 華厳経・法華経・維摩経・涅槃経はつねに判定をうけつづけたのだ。それを「教相判釈」(きょうそうはんじゃく)というのだが、たとえばさきほど述べた「三乗方便・一乗真実」という見方は、たちまち「三乗真実・一乗方便」というふうに逆転もされたのである。 
 こういう面倒な議論は朝鮮半島にも日本にもその傾向は流れこんできた。たとえば鑑真が来朝するにあたっては、天台三大部をこそもちこんだのだ。 
 一方、知られるように、日本の法華経信仰はまず聖徳太子に始まっている。その『法華義疎』は法雲の注釈からの引用が多い。ついで最澄による『法華秀句』が出て、さかんに法華八講や法華十講がおこなわれるようになると、ここに日本独特の法華美学のようなものが立ちあらわれてきた。

 法華経を紺紙に金泥で写す装飾経、法華経の一文字ずつを蓮弁に書く蓮台経、扇面に法華経を綴る扇面法華経、清盛が厳島神社に奉納した平家納経、道長の大和金峰山でのものが有名な埋経など、まさに法華経はまたたくまに人心と官能をとらえていった。 
 そこに、法華経を歌謡に転じる釈教歌(しゃっきょうか)や、今夜は見出しにおいてみた『梁塵秘抄』の法文歌(ほうもんか)や、法華二十八品歌なども加わって、公家も女房も武門さえ、ひとしく法華経賛歌に酔ったのだ。日本の法華経はずいぶん官能的であり、また美の対象とされたのだ。

 扇面法華経 このことについては、近世の狩野派や等伯や宗達らのトップアーティストの多くが法華衆であったことなどともに、いずれ論じたい。 しかし、こうした和風の法華経感覚ともいうべきに、突如として雷鳴のような一閃を食らわし、独自の法華経思想を旋風のごとく確立していった法華経行者があらわれた。藤末鎌初に登場してきた日蓮である。
 
 日蓮についてはいつか『開目抄』か『立正安国論』かをとりあげて千夜千冊したいけれど、ここではとりあえず一言だけふれておく。 ともかく凄い。その不惜身命(ふしゃくしんみょう)の行動をいっさい除いても、こんな法華経の見方をした者はインドはむろん、中国仏教者にもいなかった。そもそも「南無妙法蓮華経」という題目を設定したことが、インドにも中国にもない。また法華経そのものとその菩薩行において仏法を統一するという構想に徹したのみならず、日本という国家を法華経によって安国できると見たのも、凄かった。とくに10「法師品」から22「嘱累品」あたりをつぶさに検証して、そこに殉教・殉難の精神の系譜を見いだしたことは、すこぶる独創的だった。

 日蓮聖人による大曼荼羅本尊中央の文字は、法華経宇宙を象徴する「南無妙法蓮華経」という題目 日蓮の孫弟子の日像、舌を切られ灼熱の鍋をかぶらされた日親、不受不施派に徹して対馬に流された日奥、さらには明治近代の田中智学や内村鑑三(250夜)北一輝や石原莞爾におよぶ流れにも、日蓮の法華経世界観の投影を議論すべきであるけれど、今夜はそこまで足をのばさないことにする。
 
 達多五逆の悪人と 名には負へども実(まこと)には釈迦の法華経習ひける 阿私仙人 これぞかし では、こんなところで、今夜の法華経談義を仕舞いたい。なんだか何も説明できなかったように思うけれど、まあ、しかたない。キリなく書きたいことばかりが押し寄せて、これでも書き換えたり、削除したりするのが精一杯だったのだ。 そこで最後にちょっとばかり12「提婆達多品」(だいばだったほん)のことを、付言する。なんとなくそういう気分になってきたからだ。

 法華経はこの直前の11「見宝塔品」で、法華経の弘通に力を尽くす者がどんなにすばらしい功徳を得られるかということを説くのだが、第12品では、その弘通を阻もうとする提婆達多さえ、悪人成仏の可能性をもっていることにつなげてみせる。
 
 もとより提婆達多(デーヴァダッタ)は仏法を迫害する悪魔であって魔王のようなものである。キリスト教ならサタンやアンチ・キリストにあたる。ところがブッダはこの提婆達多に感謝した。 話の顛末は、こうである。ある国の国王がその国の人々を救いたいと考えた。
 しかしそのためには法を求めなければならない。それには国王の座を捨てたほうがいい。けれども、その法をどこで学べばいいか。もしそのようなことを教えてくれる者がいるのなら、自分はその召使いになってもいいと考えた。そのとき阿私仙人という男がやってきて、自分は法をよく知っていると言うので、国王はよろこんで仙人の身のまわりの世話をした。いくら仕えても飽きることがない。なぜなら、それが法を会得するためだったからだ。

 仙人に仕える王の図 と、いうところでブッダが、この話の裏を言う。国王とは実は自分のことなのだと明かす。そして、その仙人とは提婆達多であったとも明かす。もともと提婆達多はブッダの従兄弟(いとこ)にあたっていて、その弟が多聞第一といわれた阿難であった。これでも見当がつくかもしれないが、ブッダと提婆達多は若いころからのライバルだったのである。
 
 ブッダはヤシュダラを妃に迎えたが、提婆達多もヤシュダラに思いを寄せていた。しかるにブッダは提婆達多の成仏の可能性を説く。 だいたいはこういう話が前半にあり、ついで後半に8歳の龍女にも成仏の可能性があるというふうになっていく。 
 当時、女性は垢穢(くえ)のために法器にあらず、成仏を志す器ではないと言われていた。この第12品でも舎利弗が龍女に向かって、おまえはとうていそんな資格がないと言う。しかし龍女が黙って身につけていた宝珠をブッダにさしあげると、たちまち龍女は男子に変成した。有名な「男子変成」(なんしへんじょう)だ(『17歳のための世界と日本の見方』参照)。

 この、二つの奇妙な挿話で「提婆達多品」はできているのだが、さて、この章が鳩摩羅什の『妙法蓮華経』にはバッサリ落とされている。サンスクリット原本では前章の「見宝塔品」に入っていて、笠法護の『正法蓮華経』もそうなっている。それなのに、なぜ鳩摩羅什はこれを消したのか。実は仏教界では、その理由がいまなお取り沙汰されているところなのだ。そのため、ここは“法華経の謎”とも、また悪人成仏と女人成仏を説いたということで、“大乗仏教そのものの謎”ともされてきたところなのである。 
 ぼくは、この「提婆達多品」こそ、その後の法華経の運命を左右するものとして仕込まれたのだと思っている。付け加えておく気になったのは、このことだ。それ以上でもそれ以下でもないが、この話、やはり法華経全巻の「負」を背負っているように思う。 諸君はどう思うだろうか。あれほどの鳩摩羅什も、いささか美女と遊びすぎたのだと、そんなふうに結べれば、それもまたオツなところになるけれど……。
 

 ---以上は、松岡正剛氏のブログで、参照してください。 








明るく輝く希望のある世界を創生するためには、太陽の力を引き出そう。

  明るく輝く希望のある世界を創生するためには、太陽の力を引き出そう。

1.太陽は、古代から人間はもとより、地球生物の命を育んできている。

2.古代の人々は、その力ゆえに、この太陽に、畏敬の念をこめて、素朴な思念と謙虚さで、太陽を神のごとく、尊崇するようになってきた過程において、太陽信仰が人間社会に生まれたのである。 これが、人類文明の原初の姿である。

3.生物は、生きるがために、食物を摂取して、生命を維持している。

4.人類を含めて動物達は、その太陽の力で、育つ植物を摂取することで、生命を維持しているのである。

5.その植物は、太陽光のエネルギーを利用して、光合成により、成長しているのである。

6.古代の人類の文明の発展の源流において、食物としてのその植物を増殖させる方法として、人類は拓殖農業を見出したのである。

7.稲や麦、とうもろこし、豆等は、その農耕文化の発展において、様ざまな農耕方法や、種の改良を重ね、農地の開拓を重ねて来ているのである。

8.別に、太陽は、意思を持って、生物のために、暗闇を照らしているのではないのであるが、その太陽の力によって、地球上に動植物が増殖発展をもたらされたのである。

9.近年の人類社会の発展過程において、人類種に偏重した文明の発展をさせてきたことにより、地球環境に影響拡大させてきたのである。

10.人間本位のままの論理で、自然の有する潜在力を過小的に評価してきている。

11.太陽の莫大なエネルギーは、日照の一時間も要せずに、この地球の大地表面を熱照さることができるのである。

12.この力の大きさは、原子力発電所を相当数を設置しても、遥かにに及ばないであろう。

13.地球上のあらゆる地表に、絶えずに、エネルギーを放射しつづけているのである。

14.その太陽の熱、光の力により、地表の水分の蒸発をさせ、大気に気流を巻き起こし、雨や、雪、風を地表にもたらしている。

15.その風雨の作用により、山岳や河川や砂漠の地形が形成されつづけているのである。

16.近年において、人類社会に太陽の光熱を利用する科学技術が発展拡大されはじめてきている。

17.地球の表面積の70%は、海洋の面積で、覆われているのであるが、人類の増加は、食物の確保が大前提で、実現されるのである。

18.近い将来において、人口増大を続けるために、必然的に、海洋表面の利用が必要になってくるのである。

19.現在の人口が60数億人が、2050年には、90億人を越えることが、国連機関で公表されているが、後わずか40年間に30億人のための食物をつくる体勢をつくりあげなければ、人口の増加を意図することは不可能である。

20.この人口増大は、マルサスの人口増大論において、過去において、言及されているものである。

21.この自然摂理に基づく、人口数のコントロールは、人類の力では不可能であろう。

22.生物種は、滅亡をしないがために、増殖の力を獲ているのである。

23.我々の子孫が、滅亡の道を進むことに、誰もが望まないのである。

24.現在この地球上で、生活する10億人達が、食料の獲得において、困窮な生活をよぎなくされていると伝えられている。

25.経済的に、困窮する人々を放置するような人間社会で、あってはならないのである。

26.最近の日本の経済の行き詰まりも、この困窮する世界の人々を無視するような強者の支配や大企業の市場支配を目論む経済運営の路線方法で突き進んでいることが原因で引き起こされてきているのである。

27.この路線の行き先は、やがては、人類の競争や闘争を生み出すことになり、世界の社会破綻の原因になるのである。

28.経済活動の基本は、農耕社会に、物物交換が生まれ、そこから貨幣の使用が始まってできてきたのである。

29.社会の経済の目的は、人々の日常の生活を維持し、安寧な社会を創生するものでなければならないのである。

30.これを無視する路線を進んできたがために、現在の日本の経済が停滞し、混迷した社会にいたらしめたのである。

31.過度な国際経済競争は、世界の経済を混沌に導くことに、他ならないのである。

32、日本の社会が、将来にわたり、繁栄させるために、世界の困窮な人類社会に目を向けて、世界の人と共に、人類社会の発展を促進させていかなければならないのである。

33、自らの繁栄を願うなら、現実の社会で困窮している人々と手を携えて、協力していかなければならないのである。ここに、日本の進むべき活路が存在しているのである。

34.明るく輝く希望のある世界を創生するためには、海洋の利用を促進させ、太陽の力を引き出そう。

35.大型浮体海洋構造物で、太陽光を利用して、農業基盤や世界経済の発展拡大させることも、夢ものがたりではないのである。

http://blog.with2.net/link.php?847650

この麗しき日本の社会を台無しにし、無責任極まりない自民・公明党の政治・経済路線は断じて許せない。

この麗しき日本の社会を台無しにし、無責任極まりない自民・公明党の政治・経済路線は断じて許せない。

http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/253.html 投稿者 matuoka yuuji
日時 2009 年 6 月 26 日 00:23:00

この麗しき日本の社会を台無しにし、無責任極まりない悪しき自民・公明党の政治・経済路線は断じて許せない。

1.国民の期待はずれな政策を強行している現在の悪しき自民・公明党の議員やそれを支える既得権力者の目をさまさせるために、煮えたぎる五右衛門風呂の地獄釜に、突き落とさなければならないような政治的、社会的な混迷状態である。

2.困窮する国民一般が、いつまで辛抱できるのか?

3.国民の堪忍の緒が切れるのは、もはや、目に見えているようである。

4.無責任で、やりたい放題のこの10年間の自民・公明党の政治・経済政策であった。

5.美辞麗句や巧言の巧みで、無策無能者が偽善的な自己満足の正義や政治権力を振るかざして、国政を支配してきた悪者的、魔物的なこの集団が、良くぞこの国民を騙しとうせたのか不思議に思うのである。

6.国民がこの魔物的な集団の心的な催眠術に、目をさましたのは、最近の世界的な経済的な混乱であった。

7.この世界的な混乱を引き起こした原因は、世界の人々を心理的に誘導して、世界の人々が汗して積み上げた富をその集団達が、資本経済を利益効率大一辺倒に偏った論理を世界の人々に巧に植えつけてきて、だましてきたからである。

8.この悪しき経済路線を、世界の人々が一致協力して、徹底的にこの指導集団を糾弾しなければならない。

9.これらの集団ぼ特徴は、自ら努力して汗をかこうとはしないで。言葉や論理のすり替えや詭弁によって、人々を、巧にだましていることである。

10.まるで、貪欲で超えた豚と国民の生血を貪る吸血鬼のような精神と姿を隠し持っている様である。

11.このような、傲慢なものが、社会の指導者に選ぶことが、まちがいである。

12.世界の人々や日本の国民はこのことに気がついたことは、何よりも賢明なことである。

13.大半の一般の人々は、そのような貪欲さをあえて、自己的な抑制をもっているのであるが、この権力志向の傲慢で、偽善的な集団は、これと正反対な貪欲で、自己主張型の自己顕示欲と自己満足的な、性格を有しているのである。

14.この集団は、決して周りからの批判を謙虚に受けて反省などはしない高慢的なのである。

15.己の信念を貫きとおす宗教的な自己崇拝、自己陶酔で、身を固めているのである。

16.この集団は、人間社会に対して、信用を置かないのであろう。ある意味で、精神的な異常性を有しているのであろう。

17.このような特徴が、竹中、小泉、御手洗、奥田、ブッシュ氏等の性格の中で現れている。このような人の中に、支配的、自己顕示的で、人を押しのけるような自己本位型・自己陶酔的な傲慢性ある人生観、想念が顕著に現れているのである。

18.このような自己中心的で、自己欺瞞を隠して、人々を偽善の世界に導き入れるのであるが、このような人を社会的な指導者に選ぶことが、世界を混迷に突き落としてる原因である。

19.指導者を選ぶ場合には、謙虚に他人の意見も聞く心の広さを有し、誠実な人を選ばなければならない。

20.このようなトリックを見抜いて行かなければ、結果として、人々の集まりである社会や世界は、明るい世界から。隔絶されて、暗黒的なものになってしまうのである。

 参考;私の他のブログもよろしくお願い致します。 明るい希望のある未来社会を協力して創生致しましょう。  

Asyura投稿リンク;http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/253.html

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Wednesday, June 24, 2009

Plan to address state's revenue decline, ocean energy legislation enacted

 アメリカ政府の最近の海洋政策

asyura 投稿リンク: http://www.asyura2.com/09/senkyo66/msg/134.html

Plan to address state's revenue decline, ocean energy legislation enacted                      2009.6.11 リンク:http://knox.villagesoup.com/Government/story.cfm?storyID=162734

 アメリカ政府の政策として、海洋エネルギーの利用を計画を発表した。
 それに比して、日本の政府の海洋政策はどうなっているのだ。
 国民が期待できないで、まったく頼りにならない未来志向性、将来の社会の構築するための理念が欠如した自民・公明党の支離滅裂な無責任なバラマキ政策だけである。
 あまりにも、政策作りにおいて、官僚に依存しており、新しい社会作りのビジョンや創造性がまったく存在していないのである。  海洋の利用において、世界の諸国で、大きな感心がもたれ、発展を遂げようとしているのである。  2年前に、海洋基本法を与野党で、成立させて、現在海洋基本計画の策定中であるが、この政策の策定においても、国民の目から遠い場所で、国民不在の体勢で検討がなされているようである。  この海洋開発の政府の座長は自民党の麻生総理である。 選挙のことで、ここまで、手がまわらないのであろう。
 時代や社会は政治の停滞下においても、激動しているのである。

Tuesday, June 23, 2009

再生可能なエネルギー : Lecture 1 - Introduction to Renewable Energy Options

Law 270.7 - Lecture 1 - Introduction to Renewable Energy Options の紹介です。

 カルフォルニア大学・バークレー校の講座 : BY 

              《 再生可能なエネルギーの課題の紹介 》


         http://www.youtube.com/watch?v=r94xoS80ykk

Obama, Harper Hail Clean Energy Dialogue

 Obama, Harper Hail Clean Energy Dialogue

 Obama 氏の経済戦略の提示 : クリーンエネルギー開発  : by YouTube
      
     http://www.youtube.com/watch?v=mlNw7sar9nU&feature=fvsr

Impression of Love (rvB) The End of the World-Brenda Lee

 歌は人の情の世界を現している。  
  
 私の好きな ブレンダ・リーのThe End of the Worldの歌の紹介です。
                                 
                      2009年6月23日

 この The End of the World 《世界の果て》 を聞きながら、困窮する人々が世界の各地に現在10数億人がこの地球のどこかで、生命をいとしみながら暮らしていることに思いを傾けることも大切なことであると私は思います。
 
 この困窮する人々を放置していては、人類社会に、明るく輝く未来の社会の到来はないものと思います。
 
 世界の人々が、安心と不安のないような安寧のある世界を創生するために、世界の人々が協力して、その課題の解決に向けて努力する必要があると思います。
 
 日本の社会が進むべき道は、世界の人々から、賞賛をされるような人間的な情のある社会のための事業を私達自身の手によって、見出して、発展させ、世界の人々が共生ができる世界の希望のある未来社会を築き上げて行きましょう。

 その道は、長く、険しい道であるであろう。

 しかし、その険路をを乗り越えてこそ、未来に広がる人間社会の展望が可能となると思います。


    めざそう希望のある未来を創ろう。

 
 

Sarah Brightman - What A Wonderful World ( legendado )

私の大好きな歌です。 原語で歌えたら、この歌詞のような新しい世界がきっと開かれるでしょう。

Sarah Brightman - What A Wonderful World ( legendado )  :YOUTUBE より
  

Al gore の提案

Al Gore Testifies in Congress on Passing Critical Clean Energy and Climate Legislation
Statement to the Subcommittee on Energy and Environment, Energy and Commerce Committee
Friday, April 24, 2009 (as prepared)

Mr. Chairman, Members of the Committee, distinguished guests; it is my great honor today to testify with my friend and former colleague, John Warner, whose long record of service to the Senate and to our country is remarkable.

Senator Warner has consistently looked with a steady gaze past the politics of the day to thoughtfully and intensely focus on the national interest.

His approach reminds me of another great Republican from another era, the great Senator Arthur Vandenberg, from Michigan, who helped to create the United Nations, NATO, and the Marshall plan. He understood that our nation, when faced with great peril, must rise above partisanship to meet the challenge.

I believe we have arrived at such a moment. Our country is at risk on three fronts. The economic crisis is clear. Our national security remains at risk so long as we remain dangerously dependent on flows of foreign oil from reserves owned by sovereign states that are vulnerable to disruption. The rate of new discoveries, as you know, is falling even as demand elsewhere in the world is rising. Most importantly, of course, we are— along with the rest of humanity—facing the dire and growing threat of the climate crisis. It is at the very heart of those threats that this Committee and this Congress must direct its focus. I am here today to lend my support to one of the most important pieces of legislation ever introduced in the Congress. I believe this legislation has the moral significance equivalent to that of the civil rights legislation of the 1960’s and the Marshall Plan of the late 1940’s.

By Repowering America with a transition to a clean energy economy and ending our dangerous over-reliance on carbon-based fuels, which is the common thread running through all three of these crises, this bill will simultaneously address the climate crisis, the economic crisis, and the national security threats that stem from our dependence on foreign oil.

We cannot afford to wait any longer for this transition. Each day that we continue with the status quo sees more of our fellow Americans struggling to provide for their families. Each day we continue on our current path, America loses more of its competitive edge. And each day we wait, we increase the risk that we will leave our children and grandchildren an irreparably damaged planet.

Passage of this legislation will restore America’s leadership of the world and begin, at long last, to solve the climate crisis. It is truly a moral imperative. Moreover, the scientific evidence of how serious this climate crisis is becoming continues to amass week after week after week.

Let me share with you just a few recent examples:
The Arctic is warming at an unprecedented rate. New research, which draws upon recently declassified data collected by U.S. nuclear submarines traveling under the Arctic ice cap for the last 50 years, has given us, for the first time, a three-dimensional view of the ice cap, and researchers at the Naval Postgraduate School have told us that the entire Arctic ice cap may totally disappear in summer in as little as five years if nothing is done to curb emissions of greenhouse gas pollution. For most of the last 3 million years, it has covered an area the size of the lower 48 states. Almost half of the ice has already melted during the last 20 years. The dark ocean, once uncovered, absorbs 90 percent of the solar heat that used to bounce off the highly reflective ice. As a direct consequence, some of the vast amounts of frozen carbon in the permafrost surrounding the Arctic Ocean are beginning to be released as methane as the frozen tundra thaws, threatening a doubling of global warming pollution in the atmosphere.
Melting of the Greenland ice sheet has reached a new record, which was a staggering 60 percent above the previous high in 1998. The most recent 11 summers have all experienced melting greater than the average of the past thirty-five year time series (1973-2007). Glacial earthquakes have been increasing as the meltwater tunnels down through the ice to the bedrock below. Were the Greenland ice sheet to melt, crack up and slip into the North Atlantic, sea level would rise almost 20 feet.
We already know that the Antarctic Peninsula is warming at three to five times the global average rate. That is why the Larsen B ice shelf, which was the size of Rhode Island, already has collapsed. Several other ice shelves have also collapsed in the last 20 years. Another large shelf, the Wilkins ice shelf—which is roughly the size of Northern Ireland— is now beginning to disintegrate right before our very eyes. A recent study in the journal Science has now confirmed that the entire West Antarctic Ice Sheet is warming. Scientists have told us that if it were to collapse and slide into the sea, we would experience global sea level rise of another 20 feet worldwide. Each meter of sea level increase leads to 100 million climate refugees. Recent studies have shown that many coastal areas in the U.S. are at risk—particularly Southern Florida and Southern Louisiana.
Carbon dioxide pollution is changing the very chemistry of our oceans. Ocean acidification is already underway and is accelerating. A recent paper published in the journal Science described how the seawater off the coast of Northern California has become so acidic from CO2 that it is now corrosive. To give some sense of perspective, for the last 44 million years, the average pH of the water has been 8.2. The scientists at Scripps measured levels off the north coast of California and Oregon at a pH of 7.75. Coral polyps that make reefs and everything that makes a shell are now beginning to suffer from a kind of osteoporosis because of the 25 million tons of CO2 absorbed the oceans every 24 hours.
Salmon have now disappeared off the coast of California. Researchers are now working to determine the cause and whether or not this is due to acidity and the relationship between acidity and “dead zones” of extreme oxygen depletion that now stretch from the west coast of North, Central, and South America almost all the way across the Pacific. The health and productivity of all the world’s oceans are at risk.
The Union of Forest Research Organizations, with 14 international collaborating partners, reported that forests may lose their carbon-regulating service and that it “could be lost entirely if the earth heats up 2.5 degrees Centigrade.” Throughout the American west, tree deaths are now at record levels, year after year. For the same reason, Canada’s vast forest is now contributing CO2 to the atmosphere rather than absorbing it. The Amazon, the forests of Central Africa, Siberia, and Indonesia are all now at risk.
This year, a number of groups ranging from the National Audubon Society to the Department of Interior, released the U.S. State of the Birds report showing that nearly a third of the nation’s 800 bird species are endangered, threatened or in significant decline due to habitat loss, invasive species and other threats including climate change. The major shift attributed to the climate crisis related to the migratory patterns and a large shift northward among a vast range of bird species in the U.S.
Some of the most intriguing new research is in the area of extreme weather events and rainfall. A recent study by German scientists published in Climatic Change projects that extreme precipitation will increase significantly in regions that are already experiencing extreme rainfall. Man-made global warming has already increased the moisture content of the air worldwide, causing bigger downpours. Each additional degree of temperature increase causes another seven percent increase in moisture in the air, and even larger downpours when storm conditions trigger heavy rains and snows.
To bring an example of this home, 2009 saw the eighth “ten year flood” of Fargo, North Dakota, since 1989. In Iowa, Cedar Rapids was hit last year by a flood that exceeded the 500-year flood plain. All-time flood records are being broken in areas throughout the world.
Conversely those regions that are presently dry are projected to become much dryer, because higher average temperatures evaporate soil moisture.
The American West and the Southeast have been experiencing prolonged severe drought and historic water shortages. In a study published in January 2008 in the journal Science, scientists from the Scripps Institute estimated that 60 percent of the changes in the West’s water cycle are due to increased atmospheric man-made greenhouse gases. It predicts that although Western states are already struggling to supply water for their farms and cities, more severe climatic changes will strain the system even more. Agriculture in California is at high risk. Australia has been experiencing what many there call a thousand-year drought, along with record high temperatures. Some cities had 110 degrees for four straight days two months ago. And then they had the mega-fires that caused so much death and destruction.
Federal officials from our own National Interagency Fire Center report that we have seen twice as many wildfires during the first three months of 2009 as compared to the same period last year. Due to the worsening drought, the outlook for more record fires in Texas, Florida, and California is not good.
A number of new studies continue to show that climate change is increasing the intensity of hurricanes. Although we cannot attribute any particular storm to global warming, we can certainly look at the trend. Dr. Greg Holland from the National Center for Atmospheric Research says that we have already experienced a 300-400 percent increase in category 5 storms in the past 10 years in the United States. Last August, hundreds of thousands of people had to evacuate as Hurricane Gustav hit the Gulf Coast. And then, of course, there is the destruction of Galveston and areas of New Orleans, where the residents are still recovering. The same is happening in the rest of the world. Last year, Cyclone Nargis inflicted catastrophic death tolls in Burma (Myanmar) killing twenty thousand people and leading to the suffering of many more.
For these and many other reasons, now is the time to act. And luckily, positive change is on the way.

In February, when the Congress voted to pass the stimulus bill, it laid the groundwork for critical investments in energy efficiency, renewables, a unified national smart grid and the move to clean cars. This was a crucial down payment that will create millions of new jobs, hasten our economic recovery, strengthen our national security, and begin to solve the climate crisis.

Now, we must take another step together, and pass the American Clean Energy and Security Act. Chairman Waxman and Chairman Markey have pulled together the best ideas in the Congress to begin solving the climate crisis while increasing our energy independence.

Let me highlight a few items in the bill that I believe to be of particular importance: It promotes the rapid introduction of the clean and renewable technologies that will create new jobs and reduce our reliance on carbon-based fuels.

It is time to close the carbon loophole and begin the steep reductions we need to make in the pollution that causes global warming.

It helps us use energy more efficiently and transmit it over a secure, modernized, digital smart grid system.

Of course this move to Repower America must also include adequate provisions to assist those Americans who would unfairly face hardship. For example, we must recognize and protect those who have toiled in dangerous conditions to bring us our present energy supply. We ought to guarantee good jobs for any coal miner displaced by impacts on the coal industry.

And this bill also focuses on intensive R & D to explore carbon capture and sequestration to determine whether and where it can be a key part of the solution.

Our country cannot afford more of the status quo, more gas price instability, more job losses, more outsourcing of factories, and more years of sending $2 billion every 24 hours to foreign countries for oil. And our soldiers and their families cannot take another 10 years of repeated troop deployments to regions that just happen to have large oil supplies.

Moreover, the best way to secure a global agreement that guarantees that other nations will also reduce their global warming pollution is for the U.S. to lead the world in meeting this historic challenge. The United States is the world’s leader. We are the only nation in the world that can. Once we find the moral courage to take on this issue, the rest of the world will come along. Now is the time to act before the world gathers in Copenhagen this December to solve the crisis. Not next year, this year.

I urge bipartisan support of this crucial legislation.

Tuesday, June 16, 2009

現代世界の人々に求めているのものは、古代のノアの箱舟を築いた当時の如く、人類の新しい時代を創生するための舞台つくりである。

 現代世界の人々に求められているのものは、古代のノアの箱舟を築いた当時の如く、人類の新しい時代を創生するための舞台つくりである。


 参考1:古代のノアの箱舟の伝説とは?
http://www.thepeoplesvoice.org/TPV3/Voices.php/2009/06/08/noah-s-ark-revisited


 
 私の海洋開発提案; どうぞ、一覧のほどをよろしくお願いいたします。 私のライフワークです。
 
  参考:googlegroupe :ノアの箱舟を創ろう。   ; 海洋開発提案

http://groups.google.co.jp/group/noah-matuoka?lnk=srg&hl=ja

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Monday, June 15, 2009

飢餓人口が今年上半期の統計(FAO)で、10億人の大台を突破

飢餓人口の増大:10億人を超える。 : 読売新聞記事 2009年6月13日


【ローマ=松浦一樹】世界で栄養不足の状態にある飢餓人口が今年上半期の統計で、10億人の大台を突破する見通しであることが12日わかった。


 世界食糧計画(WFP)のジョゼット・シーラン事務局長がロイター通信に語った。

 WFPの関連機関である国連食糧農業機関(FAO)が昨年発表した飢餓人口は9億6300万人だったが、アジアやアフリカでは依然、食糧価格が高水準で推移しており、上半期だけでさらに1億500万人増える見通しという。

 最新統計はFAOが近く発表する。

 WFPは飢餓対策として64億ドル(約6200億円)の食糧支援を求めているが、世界的な金融・経済危機の影響で各国の拠出は計15億ドルにとどまり、アフリカ東部や北朝鮮で支援事業が一部停止に追い込まれているという。

(2009年6月13日10時25分 読売新聞)


  以上


【私の見解】:
 このような世界の貧困の状況である世界の現状に対して、どのように考え、どのように対処すべきであるのかを日本および世界の裕福な生活をする人々は決定しなければならない。
 
特に、ソマリア沖に、自衛艦を派遣する前に、このような貧困を絶滅させる必要がある。
 このような貧困を放置するような日本の政治政権は、欺瞞性のに満ち満ちているのである。
ーーーーー     ーーーー   
【参考リンク】:エチオピア 飢餓地帯を行く その2

http://www.youtube.com/watch?v=IvPW1H3MdKw&hl=ja

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Monday, June 8, 2009

自民・公明党与党政権をインターネットで糾弾しよう。

asyura投稿:
   http://www.asyura2.com/09/senkyo64/msg/562.html


自民・公明党与党政権をインターネットで糾弾しよう。

1.インターネットでのあらゆるweb・blogを最大限に利用して、国民の困窮や主権を無視するような自民・公明党与党政権を徹底的に糾弾しよう。

2.まずは、阿修羅の読者諸君の賢察的、建設的な主張を結集し、現在の日本の閉塞状況を、一点突破を図ろう。

3.これは、日本の明るい未来を形作るためにである。

4.日本の主権はあくまでも、国民にあるのである。

5.現自民・公明与党政権に対して、国民の支持率調査でも、明確に不信任が示されているにもかかわらず、延命を図り、野党に責任を転嫁するだけのこの政権の政治政策においても国民の汗と涙で成り立たつ税金による予算の不当的な配分で、選挙対策的な予算しか組めないような無能力な現自民・公明与党政権の自画自賛の欺瞞政治を変えなければ、日本の社会は混迷を深めて、悪しき暗黒的な状況に落としいれて、転落の道に進んでしまうであろう。これを変えなければならない。必ず国民はこれを必ず変えることが可能なのである。

6.日本の現代的な経済。社会の危機を再構築するには、まさに世界の賢者が作り上げたインターネットという現代的な最大の武器がある。これを最大限に利用して国民の主権を確保するために国民各位の意思表示で、日本の社会を再構築して変えていこう。

Sunday, June 7, 2009

米国の悪しきに集団取り込まれ、日本の国益を収奪され利用された竹中、小泉政権・現自公政権路線はその責任を回避できないのだ。

 私の投稿です。:(asyura投稿 )

 《米国の悪しきに集団取り込まれ、日本の国益を収奪され利用された竹中、小泉政権・現自公政権路線はその責任を回避できないのだ。》



1.国民の汗と努力で築かれた日本の経済的な国富が世界の最高峰に立つほどに積み上げられた時代に、米国の経済産業を撹乱させるほど対日赤字の国際貿易収支が発生し、米国の財政の改善を目的として、米国政府は日本国内の内需の拡大を日本の政府に、申し入れたのであるが、日本政府の経済政策において、内需拡大のための経済・財政的な拡大の政策の結果として、土地等のバブルが発生したのである。経済的な政策・運営においての誤謬により、日本の国民が長い努力で、築きあげてきた国富のほとんどが失われてしまったのである。

2.その経済的な危機を長期に渡り、国民の忍耐と努力で、日本の主産業の発展で国際競争力の再構築を果たそうとしてきたのであるが、日本の経済。財政の運用で、米国や西洋諸国の誤謬的な金融、経済政策に取り込まれ、米国政府による米国債の購入等や外資金融機関の要望としての圧力を受けて、日本の国富がその外資系金融機関により、日本国民から見れば非合法的、詐欺的持ち出されしまったのである。

3.その経済・財政の結果が現在の日本と世界の経済の現状の姿である。

4.この政策の運営に関して責任とその瑕疵の有無の検証が、国民の前で明確に提示する必要があるのである。

5.前自公政権における竹中・小泉氏等は国民の前でその説明の責任と義務があるのである。

6.これが、現在の自公政権が国民から信用されないで、支持されないことの最大な要因である。

7.自公政権は、この政策暦な誤謬について、どのように、反省し国民に示したのか。

8.与党政権は、経済回復を名目としての補正の予算を組む前に、このことを実行せずして、自己責任を逃れるような偽善的な無責任な政権に国民の信任など生まれるはずがないのである。

9.政治は何よりも結果責任である。このことを回避する政権を国民は黙って見過ごすことなどできないのである。

10.その政策責任について、自民・公明与党政権が取れないならば、国会を閉じて、直ちに、選挙で、国民の審判を受けよ。 それもできずに自己延命のため選挙対策のためのバラマキ予算等の支離滅裂で、その場しのぎで、整合性のない、いい逃れだけの心底から救いようのない悪しき権力執着の政権になってしまているのである。
そのばら撒いた金は、国民の汗で成立がなされるものであるのだ。 ここに轟然とした現与党の欺瞞が満ち満ちているのである。

11.国民はこの偽善に騙されてはならないのである。

12.この審判は主権者である国民によって、数ヵ月後の選挙でなされるのである。

13、自民・公明党政権は、その国民の審判による覚悟を今からいたしたまえ。
 

参照リンク Asyura投稿:http://www.asyura2.com/09/senkyo64/msg/799.html

http://blog.with2.net/link.php?847650

日本の政治・経済体系をだいなしにして破壊する元凶は法文科系の出身の政治家、官僚、財界人等の指導的な人々のおもいあがりである。これを断固として糾弾すべきである。

★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK64 > 778.html :私の投稿


日本の政治・経済体系をだいなしにし破壊する元凶は法科系の出身の政治家、官僚、財界人等の指導的な人々のおもいあがりである。
http://www.asyura2.com/09/senkyo64/msg/778.html
投稿者 matuoka yuuji 日時 2009 年 6 月 07 日 13:02:18: noT716RWWrvIk


日本の政治・経済体系をだいなしにして破壊する元凶は法文科系の出身の政治家、官僚、財界人等の指導的な人々のおもいあがりである。これを断固として糾弾すべきである。

1.かっての日本が世界に誇れるほどの高度成長を成し遂げることができた重要な要素は、あらゆる産業の基盤を理工学的な技術開発、研究開発方面や実業的な産業分野において、世界の技術を凌駕するほどの最大の努力をもって、日本の国民が一丸となって、獲得したからである。

2.大戦後、欧米諸国から技術を学び取り、自分のものに応用して、発展をさせた第2次産業の興隆(工業的な産業)があったからである。

3.ところが、その成果としての、得て積み上げた経済的な富財を日本国民に公平に、分配することに失敗し、当時の日本の与党政権の政策的な誤謬により、大半以上が、バブル経済で、失われてしまったのである。

4.このような歴史的な経過をたどり、この財政的、経済的な主流に立つ指導者たちの系譜の上の中で、日本の構造的な体系が形付けられて、やがて固定的な、既得権益的な大勢力・権力支配的な社会構造体系にしてしまったのである。

5.この背景に法文系の出身者等の強固な社会体系が日本の産業基盤を創生して成し遂げて来た技術系の指導者達を社会的な指導者として、軽視して来ているのである。

6.この法文系の人たちは、日本の強固な産業基盤が存在してこ、その基盤の中で成立がなされるべきものであるはずであるが、現実において、理工系の指導層を支配下に治めて、逆転的立場で日本の社会。政治・経済に君臨し、支配を続けて来ているのである。

7.現場において、汗をかかない机上の空論が主体のこの法文系の出身の指導層達の指導する現況の政策・運営はある種の社会的搾取や詐欺的な存在であると批判がなされても不思議でないような現在の日本の状況になっているのである。

8.日本だけでなく、欧米諸国においても、同様な法文系の指導者達の政策・運営の誤謬によって、この構造的な支配・権力者達による政策集団が、近年の世界的な、経済の構造を破壊してしまったのである。

9、ここにおいて、この占有・優先的な支配・指導者達の歴然としたおごりが世界的に現出されたのである。そのおごりの中では、日本の国民や世界に市民の社会の経済的な基盤環境に対する政策・運営上の謙虚さが失われた誤謬があったのである。

10.その例として、産業界の代表をあげれば、個別的な非難になってしまうので控えることにするが、ここであえて日本の経済・産業等の社会構造の再構築を図るために、いわせてもらうのであるが。 以前の豊田自動車の法文系の出身の社長、会長の法文系の政策的な支配の誤謬が存在しているのである。 まさに現場で汗をかいて努力をする人たちを守り立ててこそ、その存立が可能である産業基盤の現場の技術系統の者たちを、あまりにも、社会的に軽視しすぎてきているのである。 

11.ハイブリッドの技術でかろうじて生き残りが可能となったことは、喜ばしいものであるが、これも一時的な処置である。世界の経済環境の激流や時流に先立つためにはこの技術産業の発展は、倒産しない限り続けていかなければならない運命と使命があり、技術系統の人々がその問題解決の死闘を演じているのである。この場に、おいて、技術系の人々の競争心、向上心、闘争心がそこに存在しているのである。そこから社会に対する理念と想念が新しい強固な社会的文化となって、世界の市民に提供されて、形づけられるのである。

12.このトヨタでは、すでに、その体系の見直しが行われて、技術の基盤体系を創立者の技術創生の理念に戻り、強固にする方向に舵をきったのである。明らかに法文系の戦略の見直しである。

13.日本の社会、経済を国民のために、再構築や発展させるために、早急に、この技術産業系の育成の努力とこの技術系の指導体系を日本の社会的な政治・経済の構造の中央で活躍できる制度的、構造的な構築を強くのぞむのである。

14.世界の諸国で、技術系の産業の興隆をおろそかにする指導体制では、世界に打ち出て、発展できないのである。

15.中国やインドの近年の発展をながめれば、明確にそのことが理解されるであろう。

16.それと比べてみても、現在の自民・公明党の与党政権の中でも、このような法文系の人たちの指導によることが主導的になされて、政治・経済・産業政策の運営がなされてきているのである。 竹中・小泉等の経済政策の運営においてもしかりである。 また行政官僚の政策運営でも、同様である。今後政権交代が野党によってなされるであろうが、このことは、どの政権が主導するにかかわらず、技術系の指導者達による経済・産業社会の基盤の発展を促進させることは必要不可欠な最大の条件である。

17.この構造を変革しなければ、日本の経済的な再構築は成立されるものではないのである。

18.現在の法文系の出身の現在の政策的な指導・運営に誤謬があることを国民が再認識する必要があるのである。法文系の指導力が悪いのではない。この指導層の政策理念と既得権益に守られた政策の運営が時代遅れになっているのである。  

  
 参照:http://www.asyura2.com/09/senkyo64/msg/778.html

 

Friday, June 5, 2009

今畜生、 特攻隊であった鶴田浩二じゃないけれど西を見ても東を見ても真っ暗闇じゃございませんか !!!

今畜生、 特攻隊であった鶴田浩二じゃないけれど西を見ても東を見ても真っ暗闇じゃございませんか

今畜生、 特攻隊であった鶴田浩二じゃないけれど、現在の悪しき自民・公明党与党政権の強者の優先の政治政策のどれひとつ、見ても、真っ暗闇じゃございませんか!!!。

国民は、西を見てもは、東をみても、困り果てているのである。

いざ、その悪しき自民・公明党与党政権の権力主義者を、この麗しい(うるわしい)日本の政治社会から。おいだすために、特攻隊の精神で、戦おう。




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Thursday, June 4, 2009

米国大統領オバマ氏と同等なような逆境の人生を歩んできた政治家は日本で皆無である。

Asyura投稿:私の主張

米国大統領オバマ氏と同等なような逆境の人生を歩んできた政治家は日本で皆無である。

1.米国大統領オバマ氏と同等な逆境を歩んできた政治家は与野党を含めて、日本で皆無である。利権にしがみつき偽善的でなまぬるい甘い人生の似非的な政治主導が日本の社会を身動きの取れない暗闇に引きずり込んでいるのだ。

2.現在においても、たぶんオバマ氏は平均的な睡眠時間は4時間、5時間程度であろう。

3.彼は。全身、全霊をかけて、米国民のために、世界の再構築のために、米国を再構築しようと日夜に懸命に奮闘しておられる。

4.このような情熱、熱意はそのハングリー人生経験から生じているのである。
 まさに、現状の世界の再構築者としてのリーダーにふさわしい。

5.オバマシをささえているのは、米国国民はもちろん、世界の人々の多くが現状の社会状況に困難にいたっている人々である。 その人々の共感を得ているのである。

6.彼は、人生経験の中で、自ら、社会の底辺を好んで入り込み、その信念で、その共感を勝ち取っているのである。

7.このような経験の中で、社会の不条理に対する彼の隠された闘魂が育っているのである。

8.口先だけで、社会の改革をとってつけての上滑りのように、民衆に対して、おべんちゃらを表現するようなことがないのである。真剣勝負の覚悟である。もちろん命懸けであるであろう。

9.これを、眺めて、今一度、日本の政治について、考えるならば、日本の政治環境は、ホカホカの居心地の良い温室以上のようである。

10.与党自民・公明党のこの10年間の政策による小手先だけの政治・政策により国民を疲弊させ、善良なる国民を自殺においやり、一部の既得権益者が栄えさせているのである。

11.経済的な困窮さが、一段と増す中で、このような状況を国民は黙過できないのである。

12.日本の国会議員与野党含めて、500余人が議論しても、この有様である。
   りっぱな、指導者が一人たてば、社会を帰る方向性ができるのである。

13.このような現在の日本の国会議員を選んだのは、有権者である。

14.日本の国民の幸せを築くための信念や理念を持ち、命がけで築き上げることを身上として、逆境においても十分に鍛えられたる経験のある人達から国会の議員を選ばねばならない。そうしなければ、進路をあやまるだけである。迷路に突き進むだけである・

15.このような、りっぱな人は、現在の日本の政治家議員の世界には、皆無に等しいと断言してもよい。

16.振り返って眺めれば、明治維新の時の志士の者達の人生はまさにオバマ氏のごとくであったであろう。 白米なぞ、食べれないような身分の人たちの熱意が時代を創るのである。 これが、民主主義の基本の構造である。 肥えた豚に社会の指導などできないのである。

17.国民の多数が最低賃金に近いような労働をしていかねばならないような日本の社会状況にして、その責任について、ほうかぶりで、平然と国民の汗と涙で、培われた税金を湯水のごとく、ばら撒く予算を国民にしいるような真に無責任で、偽善の塊のような悪しき現自民・公明与党政権に対して、断固として、支持などできるわけがないのである。

18.徹底的にこの悪性的な政治・行政を変えなければ、立ち行けなくなる日々が刻々とこの日本の社会・経済環境に、津波のような勢いで、あらゆる箇所に、現れてきているのである。

19.このような悪しき暴政を断固として、粉砕していこう。

20.主権者である国民は、傍観してはならないのである。

21.傍観すれば、おおきな既得勢力の支配下に置かれるだけである。やがては、自分の身に、大津波が襲い掛かってしまうのである。時間的な猶予は、ごくわずかしかないのである。

22.戦え、社会の不正義と不条理に対して。一歩も怯むなかれ。信念と勇気のあるものに、天地人を巻き込んで、勝利がやがてはやって来るのである。

23.その戦いに、勝ちてこそ、この日本や世界の社会に希望が生まれるのである。築こう。 希望のあふれる世界を。

24.まずは、政治家の偽善を見抜く知性と眼力を育てよ。 仲間をつくれ。 その正義を育てよ。 そして、敵陣を叩き潰すまで戦え。 

Monday, June 1, 2009

国政選挙、地方自治体選挙の制度に国民(有権者)による不信任に関する投票権を創り、制度化せよ。

私の投稿:

国政選挙、地方自治体選挙の制度に国民による不信任に関する投票権を創り、制度化せよ。
http://www.asyura2.com/09/senkyo64/msg/474.html
SEN 474 2009/6/01 13:25:30
投稿者: matuoka yuuji

国政選挙、地方自治体選挙の制度に国民(有権者)による不信任に関する投票権を創り、制度化せよ。

1.選挙で選ばれる人の有効票から、記名式の不信任の投票数を減算有効制度化して、最終の有効票とする。 国民の声を立候補者に対する不支持の表示権(不信任票)を与えるのである。

2.多くの立候補の予定者は、何らかの、支持母体等の団体から支持されて、大きな支持母体に依存する当選者によって、政治・行政の中心的、公的な権限・行政の権力の行使が行われて、一般市民からみれば、長期にわたって、偏向的なものなってしまっても、その行政に不満であっても従わなければならなくなるのである。これでは、一般市民が満足できる政治、行政がおこなわれないのである。そこに生まれるのは大きな支持母体を有する団体のいわゆる自画自賛の単独的な、単一的な思想の政治・行政になってしまう恐れが存在するのである。 そこには、その支持賛同者のみが政治・行政を独占・占有するような専制的なものになってしまうのである。

3.そのような政治的、行政の中に、支持母体等の営利・便宜的な馴れ合いや権力の腐敗が生じてくる。また、少数の意向や不信任者の意向は、弱く反映されにくくなっている。
大きな支持母体の政治集団の勢力を有するものたちの専制的な支配をもたらしてしまうのである。

4.もし、このような流れの中で、専制的な権力支配をもくろむような者が政治・行政の主導権を持ったなら、その国民はその権力者の支配から逃れることができないのである。 

5.世界の歴史をみれば、このことの悲惨な例は山ほどあるのである。

6.ここにおいて、このようなの不謬性や弊害のある現行制度を市民全般の有権者の声を反映させやすい仕組みを創る必要がある。現在の日本の選挙制度の中においては、勢力を基盤としない投票者の市民的な意向が有効とならず、無効のままで無視されてしまったり、反映されにくいのである。市民全般の求めるような国政や地方政治の施政を真に担うような行政に変えていかなければならないのである。大勢力集団による偏向的な政策や制度の立法・行政が行われやすいのである。 これは、民主主義に反しているのである。このような制度、行政がおこなわれ続けられれば、真の民主主義を破壊してしまうのである。 これが現実の日本の政治・行政の現状的な姿である。これに満足している市民は少数なのである。現状に満足しているもの達は、その権力等の支配圏を構成して者達である。

7.この現行制度の弊害を少しでも、防ぐには、私が提案するこの不信任票の制度は、有効になるであろう。

8.汗と涙で収める市民の税金を有効的に使用するために、一部既得権益の占有的な便益者に歯止めをかける必要があるのである。公的な市民のための便益のために公正、平等的に税金を使わなければならないのである。もっと市民の政治・行政が今より、風通しのよいものに変わるようにしなければならないのである。

9.このような制度を創りあげれば、不信任の票を減らすために、立候補する者は、支持母体だけに、よりかかるような現行制度で行われる政治・行政において、日常的に市民全般の声を無視することができなくなる。有権者全般に耳を傾けなければならなくなるので、政治・行政に対する市民の監視・監督の効果が生み出されて、民主的な政治・行政が少しでも良い方向に反映されていくことであろう。

10.立候補者は、不信任票を減らすように努めることが必要になるために、支持母体だけでは当選しにくくなる。そのため、より市民の意向が反映されやすくなるであろう。

11.日本の現状のように閉塞的な社会状況、状態を 新しい社会を創るために、そして、市民が活き活きと明るく政治・行政・社会活動に全員が参加できることが可能な制度を創りを構築し、育てていく必要がある。 政治を一部勢力の支配に委ねては、危険があるのである。

12.既得権益の政治・行政において、市民の声を施政に敏速に反映させて、風通しを良くすることが、現在において、将来においても強く求められているのである。

13.現行の自公連立政権の過去10年程からの政治・行政の運営をながめれば、そのような制度の創生が早急に必要であることが判明するのである。 野党の皆さんに、この制度の立法を検討して頂きたい。

画像: http://matuoka1248.blogspot.com/

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